第3章 11



   「」が異世界語・『』が日本語



 バササッ・・・と、大きな羽音を立てて大鷹の優美な体躯がカインベルクの腕に乗った。
 分厚いなめし革の長手袋の上で、興奮して翼の開閉を繰り返す猛禽に、カインベルクは落ち着いた様子で腰の水筒を持ち上げて水を口に含むと、ふうっと霧状にそれを鳥の顔に吹き付ける。
 するとキイッと一瞬、嘴から甲高い鳴き声がし、瞬時に鷹は王の腕の上に翼を折りたたみ、大人しく佇んだ。
「よしよし、いい子だ・・・」
 深い声音で誉めてやると、それが分かるのか鷹はうっとりと小首を傾げ喉を鳴らす。
「そうだ。そのまま大人しくしておれ」
 間近にある大鷹の様子に満足気に頷いて、カインベルクは鷹を腕から己の左肩に移した。鉤のような鋭い爪が慎重に肩を移動する。
 騎士の制服にも似た狩猟用の衣装は、肩から胸にかけて分厚い革の鎧をまとう。
 カインベルクのそれは、黒い衣装に革までも深い黒に染めさせたものだ。それは長身の王の見事な威容に素晴らしく映え、あえて輝きを消した質実な銀の留め具にさえ、周囲は感嘆の吐息を洩らした。
 普段は胸に垂らしたままの長い栗色の髪を黒い皮紐でひとつにまとめ、いつもより血色の良い頬をした王の姿は溌剌として、まるで二十歳の青年のようにも見える。じつに若々しく、瑞々しい―――。



「お見事ですね」
 かけられた声に、カインベルクは肩の大鷹ごとゆっくりと振り返り、そこに彼の宰相を見止めてにやりと笑った。
「なかなかだろう? 大緒と忍縄(おきなわ)につながれていたかつての面影など微塵もあるまい。すっかり余に慣れたようだ」
「そのようです。気難しい大鷹を、見事に操っておいでです」
「ヘリングの調教が良いのだ。見よ、余の肩がすっかり止まり木になっておる。このまま馬に乗って駆けても命じなければ羽ばたかぬのだぞ」
「さすがはヘリング殿でいらっしゃいます」
「余の鷹匠だからな」
 子供のような笑みを見せ、カインベルクは機嫌よく肩に止まる気に入りの大鷹の喉元を指で撫でた。
 王と宰相の周囲には、その鷹匠ヘリングをはじめ、彼の弟子たちや獲物を追う犬を連れた勢子、侍従、近衛騎士たちが畏まった様子で控えている。
 先ほどまでこの集団で、離宮の建物からだいぶ離れた林の奥まで出かけていたのだが、夕暮れを前にタロン離宮の敷地内まで戻ってきたのだった。
「明日はリーラ湖の鴨を捕らえよう。白隼を試したい。しばらく野鳥料理が続くが、もちろんそちも付き合えよ」
 上機嫌の王の肩より恭しく大鷹を受け取る鷹匠のヘリング老と共に、シーヴァルは「御意」と深々、頭を垂れた。





 食堂での晩餐を終え、居間に戻ってきたカインベルクは寛いだ様子でソファに深く腰かけた。
 長衣に羽織った深緑色の上着の襟元も崩し気味で、腰帯などは狩服から着替えた途端にはなから外してしまっている。
 脚を組んで鷹揚に背もたれに肘をつく王の姿は決して行儀のよいものでないにも係わらず、離宮の主たる威風を泰然と醸し出していて、シーヴァルは思わず目を細めた。
 壁にかけられた燭台の炎がいくつも揺れ、典雅な木彫りの施された円卓に用意されたガラス製のデキャンタに煌々と反射し、その優艶たる光りは深紅を基調とした居間の内装をさらに鮮やかに輝かせる。
 おもむろにカインベルクは背を起こし、デキャンタの首を無造作に掴み上げると、差し向かいに腰かけた友人のグラスにワインを強引に注いだ。
「・・・さきほど、ユディトとカーライルが来ていたな」
 注いだ酒を、顎で指して手に取るように指示する。
 シーヴァルはゆっくりとグラスを持ち上げてから、「ええ」と首肯した。
 晩餐を終えて居間へと移動する前に、宰相あてに客人の来訪があったことは、もちろんカインベルクに伝わらぬはずがない。
「ユディト様は新緑祭での祭事の手順で確認ごとがあり私がお呼び立てしたのです。カーライル殿はキリンへ赴く近衛騎士の選抜を任せておりましたから、その報告に来られていたのですよ。大神官長と近衛騎士団長に、わざわざご足労頂くことになりました」
 婉曲に、「王と宰相がそろって離宮に居るせいで・・・」と嫌味を述べるシーヴァルに、カインベルクはついと苦笑が洩れる。
「それでもう帰ったのか?」
「ええ。お忙しい方々ですので」
「残念だな。あやつらも余と共に鷹狩りを楽しめばよいのに」
「お二人の分まで私が楽しませて頂いておりますから」
 間を置かぬ幼馴染みの応酬に、王の口元にはさらに笑みが浮かぶ。
 相変わらず。澄ました顔で、直裁にものを言う―――。
 他まで巻き込むな、と。
「キリンへ騎士を・・・ああ、フリッカの誕生祝いだな」
 フリッカとは、現キリン領主の妻であり、カインベルクの実姉でもある女性の名である。
 ちょうど新緑祭のある茎月が彼女の誕生月であり、カインベルクは必ずこの祭の時期に名代を立てて、彼女のために祝いの品を届けさせていた。
 もちろん、新緑祭は王都だけでなくキリンでも盛大に行われる祭りであるから、王の使者という立場の近衛騎士はキリンの新緑祭の華を添える役目も担っている。なので、それなりに見栄えのあるやんごとなき良家の子息が選ばれるのだが。
「それならば、今年もアレに赴かせればよい」
 アレ、と口にしたカインベルクを、シーヴァルは上目に見上げた。
「今年も・・・とは、ルクス・ゴートですか? しかし彼は近衛騎士ではございません」
「近衛騎士から選ばねばならぬという決まりはあるまい。要は余の姉を喜ばせれば良いのだから。アレは、なぜか血統の良い貴族の女どもに懐かれる性質(たち)だ」
 嫌そうに眉間に皺を寄せているルクスの顔でも思い出したのか、くつくつと喉の奥で笑いながらカインベルクは手にしたグラスをぐいと煽った。
 三年前の御前試合で優勝した彼を深緑の騎士に召し抱えて以来、王妃らにも可愛がられている彼の姿を面白がって、カインベルクは去年、それまで近衛騎士たちが慣習で勤めてきた使者の役目を唐突にルクスに任命したのだ。
 それが思いのほか評判が良く、そのルクスが持ち帰ったフリッカからの謝辞の親展にはいつもより言葉の多い返信が返ってきたのだった。
「フリッカの誕生祝いの使者だ。喜ばせてやるがよい」
 王の空いたグラスにワインを注ごうとした侍従を、カインベルクは軽く手を振って下がらせる。そのまま手酌で己のグラスを満たし、ついでとばかりさらにまだワインの残るシーヴァルのグラスにもなみなみと液体を継ぎ足す。第三王子であるリヒタイトの領地より献上されたワインだと、先日カインベルクの執務室に届けられたものだ。
「それから陛下、キリン領主のホルト殿から書簡が送られてきまして」
 と、シーヴァルは白い封書をすっとカインベルクに差し出した。受け取ったカインベルクはさっさと蝋の紋章を見、封を開けて中の書面を確認し、その封書を円卓に置いた。
「・・・ホルト殿はなんと?」
「ホルトの弟のグリーシャが祭りの間、王都に来るとのことだ。公式の訪問ではないので放っておいて欲しいと、書いてある。・・・とは申しても、そうもいかぬな」
「御意。グリーシャ殿にはカリフ城第五塔へ滞在頂くよう用意致しましょう」
 キリンは王都サンカッスに次ぐユーフィール王国第二の街である。その領主の実弟であれば、たとえ非公式の訪問であっても無碍にはできない。
「案内役もつけるか」
「今年はリヒタイト殿下が御前試合にはお出にならないそうですから、殿下にお願いしてもよろしいでしょうか」
「無論、構わぬだろう。怪我をするなど、あやつめ、よほどヒマなのだろう。それよりそのグリーシャだが・・・どうも変わった男らしいな」
 呟いて、ちらりと視線を向けたカインベルクに、シーヴァルは何も聞かずともすべてを了解する。
「御前試合の折には、陛下の隣りに席を設けましょう」
 宰相の返事に、王はにやりと笑み、頷いた。




 そういえば、と、グラスを傾けながらふいにカインベルクはカリフ城に置いてきた存在のことを思い出した。
 置いてきた―――というより、あの場所に閉じ込めたまま、の存在。
「・・・最近シラーがアーリのことを尋ねてこなくなったな」
「陛下がまともにお答えにならないからでしょう。しかし、ヒースイット殿下がなにやら神官らに探りを入れているような動きがございます」
「ヒースか。放っておけ。あれは腹黒く育ったが、決して兄のためにならぬことはせぬ男だ」
 御意、とシーヴァルは頷く。
 彼とて王子たちのことは彼らが生まれた時から知っている。その性格も、父であるカインベルク同様、重々承知していた。
「しかし実際、あの青年のことは如何いたしましょう」
 神殿は相変わらず神子の行方について聞いてくる。カインベルクが隠してしまったあの青年が神子であると、大神官らはそう信じきっているのだから。
「どうもしない。このままあの塔に留め置くが?」
 だが、何事もないように、当然のようにカインベルクはそう応えた。
「あれは、余のものだからな」



 総司を組み敷く、その姿が思い出される。
 カインベルクが訪れる日は朝から後孔を広げさせるよう侍医に命じているから、前儀などない。
 寝間着をはぎ、背後から脚の間に腰を入れていきなり突き刺す。
 総司自身に触れることもない。
 氷のような無表情が、痛みを与えたときだけわずかに歪み、くぐもった吐息と悲鳴を洩らす。
 だからいつも乱暴に貫く。その後、彼がいつも熱を出して寝込むのも知っている。
 リオの世話にも、マーシュの教授にも彼は反応しないという。
 カインベルクの行為にだけ、彼は人らしい表情を作るのだ。
 たとえそれが、苦痛に歪んだだけのことであっても。


 ―――生きておるか、アーリ?


 生きていると、分かって尋ねたのだ。
 生きていると分かっているからこそ、痛みを与えている。


「・・・面白いですか?」
 シーヴァルの問いに、カインベルクは鷹揚に顎を反らし、にやりと笑んだ。
「ああ、楽しくて仕方がない」
 カインベルクだけが、今、総司を生かしている。
 人形でも死人でもない彼に、触れている。



 あれは、自分だけのものだ。








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