第1章 2 『』が異世界語・「」が日本語 いきなり声をかけて、そんなに驚かせたかな。と達樹が小首を傾げる動作をすると、石のように固まっていた青年の顔がぼっと火がついたように首まで赤くなった。 目覚めた瞬間、息がかかるほどの至近距離に咲きたての花のような美少年の顔があって、しかもちょこんと愛らしく白い首をかしげたものだから青年は照れたのだが、もちろんそんなことに達樹は気付かない。 十八年間人並みの一般男子高校生の人生を歩んできた達樹に、女神たちによって勝手に祝福された美貌の自覚は皆無であった。 「頭痛がしてたんでしょ? まだ痛いですか?」 なるべく刺激しないように穏やかな作り笑顔を浮かべて達樹が尋ねると、青年はますます顔を赤くして俯いた。 それきり、返事もなくまたすっかり固まっている。 (・・・駄目だ。このひと多分パニくってる) 言葉も出ない青年の様子に、達樹もがっくりと肩を落とした。 (そりゃそうだよな。さっきまで真夜中のオフィス街にいたやつが、気がつけば森んなかにいて、しかも奇天烈なコスプレ小僧と二人っきりだなんて、普通の神経の人間ならば訳わかんなくて当たり前だって。ああああ、この格好ってやっぱりやだ。恥ずかしい!) 精神は常識ある一般男子高校生の達樹は、ホストでもないのに全身白い神官服と、腰元に佩いた長剣というファンタジー要素120%なスタイルのおのれの姿を改めて振り返り、羞恥のあまり目眩がしそうになるのを必死に我慢しなければならなかった。 どうにか気分を落ち着けて、作り笑顔をぴったりと貼り付けたまま青年の顔を覗き込む。 「あのー、こんな格好で言うのもなんですが、俺、あやしい者じゃないデス。安心してくだサイ」 (って、ほかにどうにか言いようはないのか、俺! なんか片言になってるし!) と、語彙の貧弱さにセルフ突っ込みを入れながら、なにはともあれ達樹はサラリーマンの機嫌をとることにした。 パニくって固まっているうちはいいが、怒り出したり泣き出したり暴れ出したりされたら手に負えない。 そう思っての低姿勢だったが、青年は達樹の細い首筋と、恥らうように浮き出た華奢な鎖骨の辺りを見つめたままいまだに惚けていて、やっぱり言葉にならないようだった。 (なんだこのひと、喋れないってわけじゃあ、ないよな?) 「あのう、つかぬことをお聞きするけど、もしかしてあなたもこちらに来るように言われてたんですか?」 自分のほかにも神子がいるとは一度も聞いたことがないが、一応確認しておかねば。 「サーラさまから聞いてない?」 「サー・・・ラ・・・?」 達樹の質問に、青年はキョトンとしている。明らかに、たった今初めて聞きましたよ! という反応である。 「違うんすか? じゃあやっぱ、祝福オプションとかってやつかなあ。でもなんも聞いてないし・・・」 三姉妹神からは勝手にいろいろと押し付けられたが、本物のサラリーマンという祝福は記憶にない。 だいたいがこんなに縁起の悪そうな顔色のリーマンが、いったいどんな役に立つというのか。名刺交換くらいしか思いつかない。 達樹は深く溜め息をついた。 結局このリーマンが何者であるか、それがわからないにしても、明らかに日本の東京からともにやってきた同胞をここで見捨てるわけにはいかないのだ。 「この森がいったいどこなのか、じつは俺も今は詳しく分からないんです。あの、ちょっと近くの様子を見てくるんで、ここにいてもらってもいいっすか? すぐに戻ってくるんで」 たとえ本当にこのリーマンが女神さまの気紛れ祝福オプションだったとしても、そうでないにしても、一緒に行動するのが最善だろう。 少しだけ一人でいてもらっても大丈夫っすか? と声をかけるが、青年はどうもぼんやりと惚けたままである。 「あー、もう!」 達樹はがしがしと頭をかきむしった。ちなみに日本ではカラーリングを入れていた達樹の短髪は、サーラさまによってキューティクル豊富な黒髪のボブにされている。 (せめて水でも飲めれば、俺だって落ち着けるんだけど・・・。あーそういや、近くに川がありそうな雰囲気だったけど、もしかして汲んでくるしかないのか? やっぱそれしかないよな?) あいにく達樹は手ぶらである。 長い旅の始まりだというのに、荷物どころかこの世界で使えるお金もないのだ。つまり無一文。先立つもの、という単語は下界でお暮らしになったことのない女神さまがたの辞書には載っていないらしい。 達樹は改めてがっくりとうなだれた。 「あの、本当に、ちょこっとだけ行ってくるんで、絶対にここ、動かないでくださいね?」 地べたに足を伸ばして子供のように座り込んでいる青年に、少し強い口調でそう言い含めて、達樹は水音に耳を済まし、歩き出した。
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