第1章 4 『』が異世界語・「」が日本語 (血・・・!!) 誰の? あのリーマンの? なんで? 上げそうになる悲鳴を手のひらで押さえ込む。 なんで、なんで、なんで!?? 『誰だ!?』 背後から、鋭く誰何する男の声が達樹の背を刺した。 びくりと、肩を震わせる。 『ここは王宮の森。本日は王の狩場となり何人も立ち入りを禁止しているはず!』 厳しい声が背後にどんどん近づいてくるのがわかるが、達樹の足は震え、わずかも身体が動かない。 『聞いておるのか!?』 ぐい、と骨に食い込むほどの強い力で肩をつかまれ、強引に向きを変えられた。 『どういう了見でここに―――』 達樹を叱責する声が、途中で飲み込まれた。 『―――女? いや、違う・・・だがおまえ・・・』 達樹よりも、頭ふたつぶん大きな長身。 肩で切りそろえた濃い金色の髪。 鋭い眼差しの、その深緑の瞳が、青ざめる達樹の顔を見下ろし、一瞬、戸惑うように揺れた。だがしかし、すぐにしっかりと視線を合わせ、射るように覗き込んでくる。 (このひと、怖ェ・・・!!!) 男の強い眼光に思わず目を伏せ、俯いた達樹の顎をすかさず男の長い指がとらえ、持ち上げた。 『・・・神官見習いが、何でまた、本日のいま、この森にいるんだ?』 さっきよりは口調がくだけ、幾分凄みも押さえられた声音。しかし達樹の顎を捕まえるその指の力強さは変わらず、達樹の恐怖は薄れない。 (な、なんでって、なんて答えたらいいんだよ〜!?) 男の顔が見れず、かたく閉ざした目蓋にじわりと涙が滲むのが分かった。 と、ふいに、その目蓋にざらついた生暖かい何かが触れた。 (・・・な、なに、いまの) 驚き、思わず目を開ける。 (や、もしかして、な、舐めた・・・・って、舌! いまのこいつの舌!?) 『な―――』 なにをするんだ!と、とっさに抗議しようとして、しかし達樹は声がでない。 男は達樹を見下ろして、にやりと笑っていた。 『花のような美しい顔をしているから、涙は甘露の味かと思ったが。しょっぱいな』 陽に焼けた、精悍な顔が獲物を見つけた愉悦の表情を浮かべる。 『じゃあその唇は、どうだ』 言うなり、男の太い両腕が達樹の腰と後頭部を絡め取るや、深々と口付けてきた。 (ぎゃああああああああ!!) 男の熱い舌が達樹の口内をうごめき、蹂躙する。 とっさに身じろぐが、鋼のような男の両腕は達樹の細腕ごときの力ではびくともしない。 胸のうちにしっかりと閉じ込められ、達樹は息苦しさにふたたび涙を浮かべた。 (し、死ぬ! 窒息する! 助けて!!) 必至になって腕を叩くと、ようやく気がついたのか唇が解放された。 『おまえ、口付けしたことないのか?』 ぜえぜえと空気を吸い込みながら顔を背けた、その頬に零れた達樹の涙をべろりと舐めとりながら、男は呆れたように声を上げて笑った。 (そういう問題じゃねえ! 俺ぁ男なんかとキスする趣味はねえんだよ!!) と、声を張り上げて怒鳴りつけたいのはやまやまなれど、言葉は喉の奥に張り付いて出てこない。 キッと睨みつけるのが精一杯で、嫌味な男前に軽蔑の視線をくれてやったつもりが、どうもまったく迫力がなかったらしい。 それどころか、逆に男の笑みが無邪気に深くなり、後頭部に回っていた大きな手が頬を包み込んだ。 『おまえ・・・可愛いな』 (はあ!?) 達樹が顔をしかめるよりも早く、男の唇はふたたび達樹のそれに重なっていた。 さきほどよりも、柔らかく、だがもっと深く―――。 『・・・ん・・・・・ふっ・・・・』 何度も角度を変えながら、ねっとりと口内を舐め上げる舌の動きに翻弄され、達樹の鼻から甘い吐息がもれる。 腰が抜けそうになり、思わず男の上着にしがみついた。 パニックで真っ白になっていた頭に、官能的な刺激がダイレクトにひびく。 (やぁ・・・・な、なにこれ、気持ちいいかも・・・・) 目を閉じていれば男とキスしていることも忘れる。 腰を支えていたごつい手が背筋を撫で上げると、達樹の肩がびくりと揺れた。 なんといっても中身は思春期真っ盛りの一般男子高校生。 情けないが、快楽には弱いのが男ってもんだ―――。 (じゃない!!! だ、駄目だ!!!) 気付けは達樹はすでに首筋を強く吸われながら、片肌脱がされかけていた。 (ぎゃああああああ!!! なにやってんの俺えええ!!!) 達樹の身体を這い回るために緩んでいた男の腕からとっさに抜け出る。 (い、今! まさに! 貞操の危機!!!) 女神さまの言っていたことってホントだ!! 達樹の沸点が一気に上昇し、腰の長剣をするりと抜いた。 白銀の刃を男に突きつける。 『こ、これ以上は、私に触れないでください』 (ユーラさま、あなたを信じます! 剣技って、ちゃんとしたもんだよね!?) 必死の達樹はとにかく切っ先を男に向けたまま牽制するのに精一杯である。 だが、当の男は余裕綽々の笑みで、達樹を見下ろしてくる。 『面白い。おまえ、俺が誰だか分かっててその剣を向けているのか?』 (知らねえよ! なんだか強そうってことは分かるけど!) この国の知識は教わっても、誰がどんな顔をしているなどとそこまで詳しくは夢のなかでは教わることはできない。だから、達樹にとってこの国の人間はみんな初対面だ。 『存じません。どうか、私をお見逃しください』 達樹は剣を向けたまま、なんとかこの場から逃れようと、じりじりとかかとを動かした。 サラリーマンの行方を知るにはここに留まって手がかりを探らなければならないのだろうが、かといってまずは自分の貞操を守りたい。この男はマジでやばい。 全身を恐怖に振るえさせながら、それでも必死に見上げてくる、達樹のその形相がよほど哀れに映ったのか、やがて、男は肩をすくめて降参のポーズを作った。 張り詰めた空気が一気に和らぐ。 達樹はほっとして、この隙をついてきびすを返した。 こうなったらこんな恐ろしい場所には一秒たりともいられない。 落ち着ける場所まで逃げて、そこから今後の態勢の立て直しだ。 『し、失礼いたします』 『待て』 追いかけるような男の声に思わず達樹が振り返るのと同時に、なにか小さなものが投げて寄越された。 『わわっ』 慌てて受け取ると、銀細工の太い台に、黒い宝石の乗った、男物のごつい指輪であった。 (なにこれ?) 男を見ると、じつに晴れ晴れとした笑みで達樹を見つめ返していた。 『俺のだが、おまえにやるから持っていろ』 きっぱりと言われれば、いらないとも言いづらい。 『・・・・左様ならばありがたく、頂戴いたします』 ぺこりと頭を下げて、今度こそ達樹はその場を飛び出した。 こいつには二度と会いませんように。 切にそう願いながら。
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