第1章 18



   「」が異世界語・『』が日本語



 やがて、食事を終えた総司のもとに、見覚えのある青年がやってきた。
 肩で切りそろえた黒髪からのぞく白皙の額が美しい若者である。その怜悧な眦と、すっきりした顔立ちに似つかわしい凛とした姿勢が、彼の細い身体をしなやかに見せている。
 あの断罪の行為の間、総司を陵辱する男の背後にただ一人、冷静に控えていた若者に違いなかった。


 青年は赤毛の少年に何言かを話しかけたあと、総司に一緒に部屋を出るよう促した。
 いつもならば食事のあとは寝台で老医師に脈診を受けるのだが、このとおり傷も癒え、あの苦い薬も必要なくなったとみなされた、ということだろうか。
 それならそれでいい。
 傷も体調不良も、総司にはどうでもいいことだからだ。


 初めて出た扉の向こうは、思いのほか広い、ただの廊下だった。
 床も天井も石造りなのだが、いたるところに採光用の小窓があって決して暗くない。壁に直列に並んだ燭台に使いかけのロウソクが刺さっていて、夜毎に灯されているらしかった。
 その廊下をいくばくか進むと、やがて同じような石造りの広い螺旋階段があった。
 青年を先頭にして三人は無言でそれを登る。
 天井近くにはまっている明かり取りの窓からは青空しか見えず、総司は途中からいったいどれほどの高さまで登っているのか分からなくなった。



 青年が振り返って、どうやら目的地に着いたような言葉を総司に述べた。
 もちろん、本当は何を言っているのかは分からないのだが、階段の途中にあったものより格段に大きくなった窓と、なにより平らななにもないスペースに出たことで、最上階にたどり着いたのだと総司にも理解できた。
 こんなところまでやってきてどうするのだろうと思っていると、青年が首を巡らして、内部の壁を見渡した。その様子を、赤毛の少年は不安げに口を引き結んでじっと見つめている。
 やがて、青年は総司に向かって静かに話し始めた。
「・・・この第二塔の最上階が、他の四つの塔と違い屋上には出られないようになっているとされているのは、じつはこの上にさらに秘密の部屋が隠されているからなのです。この最上部の天井が低いのそのためで、ほら、やけに内部が狭いと思いませんか? 窓の位置も、隠し部屋の存在を知っていれば、不自然な間隔で付けられていることがわかる」
 彼がなんと言っているのか分からない総司は、少年が妙に驚いた顔を見せたのを不思議に思ったのだが、しかし青年の手が、突き当たりだと思っていた石壁のある一点を押した途端、扉一枚分ほどの壁の一部が奥に押され、さらに続く細い階段が現れたのを見て納得した。
 まるで忍者屋敷のような仕掛けだ。
 大人ひとりがなんとかやっと通ることができるだけの、狭く暗い隠し階段だった。
 それを登りきると、古びた木製の扉につきあたり、青年が持っていた鉄の鍵でそれを開いた。


 こじんまりとした、質素な部屋だというのが総司の第一印象だった。


 今までいたのが、美しい天蓋付きの巨大な寝台が豪華な、総司には立派過ぎるような部屋であったが、ようやく普通の部屋を見ることができたようだ。
 大人ひとりが寝られるだけの幅の寝台と、机と椅子がひとつずつ。天井は低く、広さもさっきまでいた部屋の三分の一ほどしかない。
 青年はまた手振りで総司を椅子に腰掛けさせると、赤毛の少年も呼び寄せて話し出した。
「おまえには、今日よりここで過ごしてもらいます。今まで通りおまえの世話はこのリオが行いますが、これからはわが国の言葉を教えるために私も参ります。私の名はマーシュ。マーシュです。分かりますか?」
 どうやら自己紹介をされているらしい。
 おのれの胸を指差し、何度も繰り返される「マーシュ」というのが青年の名なのだろう。総司が黙ったままぼんやりとその様子を眺めていると、青年の無表情がわすかに歪み、眉をひそめたようだった。しかしすぐに思い直して今度は赤毛の少年を指して「リオ」と繰り返した。


 二人の名前よりも、総司は窓から見える景色のほうに気が行っていた。
 小さなガラス窓の向こうに広がる、作り物のような青い湖。
 高いところに登ってきたせいか、いままでよりも遠くまで見晴らせる。
 湖のほとりはぐるりと緑が取り囲み、湖面に映った白い雲との対比がなんとも鮮やかであった。
 青年の言葉は分からないが、多分、総司は今からここに閉じ込められるのだろう。
 そしてあの湖を毎日見下ろして過ごすのだ。
 何も考えないで。
 ただ、寝て、起きて、瞬きさえ静かに。


 ひっそりとしていよう。
 あの湖面を凪いでいるだろう、あるかなしかの微風のように。



 総司はそっと窓に寄り、こつんと額をガラスに付けた。








 back top next 









inserted by FC2 system