第1章 19



   「」が異世界語・『』が日本語



 ま、まさかあの変態セクハラ男が王子サマだったなんて!



 達樹は右手の親指にはまった黒い石の指輪を見下ろして、あのとき、ルクスとヒューズがやけに驚いていた理由を思い知った。


 リヒタイト・デュード・リアミリアス・リサーク。


 このユーフィール国リサーク王家の第三王子であり、側室の子ではあるが、現在王位継承権第二位を持つホンモノの王子さまだ。
 通称「王家の指輪」と呼ばれる鷲(カリフ)の紋章の入った銀の指輪に付けられた、丸い黒曜石はリヒタイト王子を示すもの。王族はそれぞれ自分だけの「王家の指輪」を持っていて、それは四角い翡翠であったり、カットされた紅玉であったり様々で、指輪の石を見ればどの王族のものかが一目で分かるようになっているのだ。
 下賜されれば名誉の家宝となるほどの、貴重な指輪。
 森のなかで、ぽんっと投げて寄越されて、金目のものと踏んでさっさと売り払う予定でいたのだが、もしそうしていたら今頃達樹は不敬罪を問われるか、または盗賊と疑われるかで役所に突き出されていたかもしれない。



 あれから、達樹はルクスとヒューズに連れられて、そのリヒタイト王子が城下で暮らしている屋敷に連れて来られていた。
 あんな危ない変態男、二度と会ってはいけないと心に誓っていたのだが、しかしそれが王子となれば話は変わる。
 達樹の考えている「さりげなーくお城に入って(中略)スペシャル大作戦」を決行するには、千載一遇のチャンスなのだから。



 小間使いとして雇ってください。掃除でもなんでも、申し付けてくださればなんでもいたします!
 などと、深緑の騎士二人相手に大口を叩いたものの、日本でろくに家事なんてやったことのなかった達樹が、小間使いの役に立つはずがなかった。
「きゃあああ!」
 と悲鳴を上げて階段をずっこけると、まるでコントか新喜劇か、というくらいベタにバケツのお湯を頭から引っかぶってしまった。
 ゴツンと、頭上にバケツが降ってくるお約束つき。
(ううう、なんで俺、なんでもないとこでコケれるんだ!?)
 自身も床もひっくり返ったお湯でびしょびしょになりながら、湯気の立つ水溜りでうずくまっていると、この屋敷の管理を任されている家令のミヤ青年が駆け寄ってきた。
「どうしました!?」
 どうやら、達樹の悲鳴を聞きつけて走ってきたらしい。褐色の額に柔らかな亜麻色の髪の毛が乱れてくっついている。
 ミヤは階段の下で情けなく濡れ鼠になっている達樹を見つけて、一瞬、髪の毛とお揃いの亜麻色の瞳を大きく見開き動きを止めた。
 どうしたら、こういう状態に?
 という彼の心の声がありありと読め、達樹はさらに落ち込んだ。
(そりゃそうだろう。バケツでお湯を運ぶだけで、どうやったらこんなことになるのか俺だって知りたい・・・)
 ミヤは達樹にケガがないのを確認してから、とにかく手を貸して立ち上がらせた。
「タツキさまが湯を運ぶなど、なさらなくてもいいのですよ。そういうことは私どもの仕事ですから」
「で、ですが私はこちらに小間使いとしてご厄介になっておりますので、私にできることは何でもいたしたいのです」
 といっても、達樹が役に立つ仕事など、ほとんどないのが実情だった。
 井戸の水汲みも薪で火をおこすのも菜園の仕事も厩舎の世話も、都会育ちの達樹は生まれて一度もしたことがない。
 女神たちからこの世界の知識として、サバイバル精神を教わってはきたのだが、実際聞くのと行うのではまったく違うということを、ここにきて思い知らされた。
 電気って素敵! 電話って奇跡だ! せめてガスをくれ!
 バケツの湯は、もうすぐ騎士団の鍛錬所から戻ってくるリヒタイト王子のために、二階のバスタブに溜めておくよう使用人の女の子たちが用意していたのを、それくらいの単純作業ならと、達樹が無理を言って一緒に手伝わせてもらったのだった。
 屋敷の裏手の給湯室から二階の風呂場まで何度も往復して運ぶには結構な距離があり、か弱い美少年に変身してしまった自分の細腕を鍛え直す、好い機会だと企んだのも一理ある。
「きゃっ! タ、タツキさま! 大丈夫ですか!?」
「ご無事ですかぁ!?」
 一緒に湯を運んでいたカリンとアイネが、二階から空になったバケツを携えて戻ってきたところ、ミヤに助け起こされている達樹の姿を発見して蒼白となった。
(ううう・・・こんな姿を可愛い女の子に見られるなんて!)
 カリンとアイネは屋敷の下働きをしている女の子たちで、二人ともそれぞれ赤毛と栗毛の、少しぽっちゃりとした色白の愛らしい顔立ちをしている少女である。初めて会ったとき、達樹は少々ときめいたのだ。
 そんな二人にいいところを見せようとして、逆に情けない姿を晒してしまう結果になってしまった。
 とにかく着替えを、とミヤに促されたそのとき。


「なにをそんなに騒いでいるんだ?」


 今、一番聞きたくなかった男の声が、不機嫌な様子で聞こえてきたのだった。








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