第1章 22 「」が異世界語・『』が日本語 リヒタイト王子が肩までの金髪をうなじの後ろでひとつに結わえていると、ミヤが飲み物の用意をして入ってきた。渡された赤ワインのグラスを手に、リヒトは達樹には蜂蜜を溶かした紅茶をすすめた。 この異世界の住人たちはみんな、まるで水と同じようにワインを飲んでいるのだが、ワインの苦手な達樹はジュースか紅茶をもらっていた。 紅茶はべつにストレートでもまったくかまわないのだが、なぜかこの屋敷の人間は達樹の紅茶には上等な蜂蜜を入れたがる。 (そんなに甘党に見えるのかな? 頼んだ覚えはないし、べつに、味覚は普通なんだけど・・・) どうやら、美少年イコール甘党、という図式が暗黙の了解にあるのだろう。 甘い香りのする白磁のカップを受け取り、両手にはさんだそれを、ふうふうと唇を尖らせて息を吹きかけ、冷ましながら紅茶を口にする達樹を見て、リヒトだけでなくミヤもコーノまでもどこか幸福な表情で微笑んでいた。 そういえば、と達樹はふとリヒトを見上げて話しかけた。 「王子さまはお城に住んでいらっしゃるのかと思っていたのですが・・・」 だって、王族だし。 ヒューズに連れてこられ、屋敷の主人が王子だと知ったときは、だから達樹は驚いたのだ。なんでだ? 「こんな小さな屋敷に住んでてがっかりか?」 「そ、そういうことでは・・・!それに、このお屋敷も小さくはございません」 (むしろでっけーよ! 俺ん家の3LDKのマンションと比べものになんないよ!) 日本の達樹の部屋は六畳のフローリングだった。兄弟それぞれに一人部屋をもらっていたのだから、中流家庭の東京の住宅事情では余裕のあるほうだろう。(サーラさまは自分たちの加護のおかげだと言っていた。) いま、達樹が居候している客室はそれぞれに続き部屋のあるスイートルームのような造りになっている。広くて豪華で気後れするほどなのだ。 このリヒトの居室だってそうだ。 屋敷の二階のほぼ半分近くを占める面積で、天井だって高いからよけいに部屋が広く感じる。 敷地内には厩舎も菜園もあるし、庭園には優雅な東屋だってあるのだ。これで狭いなどと言ったら、達樹は二度と東京では暮らせなくなる。 「このような立派なお屋敷は、私は見たことがありません・・・」 (だって庶民だもん、俺!) 「おまえの家のほうが広い屋敷なのではないか?」 「え? そ、そのようなことはございませんが・・・」 「本当に?」 「は、はい・・・」 達樹はこの屋敷に厄介になるさい、リヒトたちにはイクス地方出身の神官見習いだと告げていた。 イクス地方はユーフィール国の東の果てにあるど田舎で、王都からは馬車で2ヵ月はかかる辺境である。そこの出身としておけば、なにか知らないことがあったときに「なにぶん田舎の出で・・・」とごまかしやすいと思ったのだ。 (だけど、田舎だから家も広いと思ってんのかな?) まさか外国の王族か貴族の出自かもしれないと疑われているとは心にも思っていない達樹は、リヒトの言葉に小首を傾げた。 気が楽なのだとリヒトは言った。 「王宮にいるとなにかと煩い連中が多いからな。俺が騎士をやっていることを気に食わない者もいる」 「そういえば、王子さまは騎士でもいらっしゃるのでしたね」 たしか近衛騎士だと言っていた。貴族の子弟や裕福な家庭の者だけがなれる、騎士の花形である。近衛騎士から深緑の騎士に任命されたヒューズとは、だから元同僚なのだそうだ。ちなみにヒューズとおなじ深緑の騎士であるルクスは、もともとこのリヒタイト王子の従騎士をしていて、三年前に推薦を受けて騎士になった。ルクスが騎士になってしまったので、コーノが雇われてリヒトの従騎士になったのだそうだ。 「ああ、特別にな」 「特別?」 にやりと笑うリヒトに、達樹が聞き返す。 (なんだ、王子と騎士の二足のわらじは、当たり前のことじゃないんだ・・・) またしても知らなかった知識だ。 女神たちのスパルタ教育を受けてきた達樹だが、まだまだ知らないことがたくさんあるようだった。騎士に添う従騎士という職業があることも、上級貴族や王族の子供は乳母に育てられるということもこの屋敷に来てから初めて知ったことだ。 「慣例では、直系の王族は騎士にはなれないことになっている。直系でなくとも、王位継承権を持つ第五位までの者はやはり騎士にはなれないらしい。王というのは民の上に立つ者であって、あくまでも騎士は家臣である、という考えらしいが」 なるほど、人を使う者が、人に使われてはならない、ということか。王位を継ぐ可能性の高い者は、やはり人に使われてはいけないのだろう。 では、なぜリヒトは特別に騎士になれたのだろうか? 王位継承権第二位といえば、王太子に次ぐ高位の身分であるのに。 達樹の疑問は顔に出ていたのだろう。リヒトは苦笑してすぐに答えを教えてくれた。 「父上がお許しくださったからな」 リヒタイト王子の父上。それはつまり。 「国王、カインベルク陛下が・・・?」 「ああ。やりたいことは自由にすればいい、王子だろうが騎士だろうが、要は国を守るためにあればいい―――のだそうだ。父上のお考えはじつに素晴らしい。大事な根幹は決して揺るがず、だから多少足元を浮つかせても大局を見失わずに国土を統治しておられる。王とは国家と国民を守る者。これ以上、明確な使命はないだろうな」
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