第2章 2



   「」が異世界語・『』が日本語



 シラーは続けて、未来の国王に質問していた。
「ではユーリ、それ以外には何がお船に乗って行き来しているか分かるかい?」
「え?」
 正解以外にも答えがあるのか。父の問いに、ユーリは言葉を詰まらせる。
「えーと、えーと・・・」
 きっとまだ教わっていないのだろう。しかし必死に答えを探ろうとする姿勢が、シラーには心強かった。
 シラーは息子の深緑の瞳をじっと覗き込み、過去、自分がカインベルクにしてもらったように笑いかけ、やはり頭を撫でてやった。
 何も言わなくても分かっている。
 父親であるシラーの手のひらは、あのときの自分と同じように、ユーリアスに気持ちが伝わるだろうか。
「ユーリ、覚えておきなさい。お船に乗っているのは、必ずしも形のある物だけとは限らないんだよ」
「違うのですか?」
「そう、例えば、外国の唄。ユーリもいくつか知ってると思うけれど、これはどうやって我が国まで伝わってくると思う?」
「唄ですか? えーと、えーと、あの、たぶん、吟遊詩人とか、旅芸人たちが伝えてくるのだと思います」
「うん、そうだね。じゃあその吟遊詩人や旅芸人たちはどうやってこのハリア大陸まで来るのかな」
「それはお船に乗って・・・あ!」
 シラーの言いたいことが分かったのだろう。
 ユーリは声を上げて、父の顔を見た。
「お父さま、ぼく、分かりました。お船って、大切ですね。唄だけじゃなくって、ぼくが知ってる外国の物語やお料理も、お船に乗ってやってきたんんですね。そうですよね?」
 やはり、この子は利巧だ。
 頷きながら、シラーは自国の明るい未来を垣間見た気がし、胸が熱くなった。
「ねえお父さま、ぼくお船に乗ってみたいです。お父さまはキリンの新しいお船を見に行ってらしたんですよね。ぼく、そのお船に乗ることはできませんか?」
「まあユーリ、あなたはまだ6歳ですよ。子供は大陸への船には乗れません」
「でも旅芸人のなかには子供もいます。子供だって、お船には乗れます」
「あら、旅芸人と王族は立場が違います。せめて大人になるまでお待ちなさいな」
 さっそく貿易船に興味を持ってしまったやんちゃな我が子を、エカーテも笑顔でたしなめる。
「でもお母さま、ぼく、大人になるまで10年も待つなんてできません。あ、ねえお父さま、せめてキリンに連れて行ってください。乗れなくても、お船を見るだけでもかまいませんから」
「まあ、ユーリったら・・・あなた、どうなさいます」
「そうだね、また次にキリンで貿易船の大きな進水式があるときには、きっとお祖父様に頼んであげよう」
「わあ! 本当ですか?」
「約束しよう。でもすぐには無理だから、それまではこのお土産で我慢してくれるかい?」
 シラーはそう言って、はしゃぐ息子の手のひらに、小さな望遠鏡を載せてやった。
 子供の手のひらに納まるほどの、小さなガラスの筒は、見事な銀細工が蔦のように巻きついてあって、陽光に煌めきとても美しい。
 同じように娘のキカには陶土製の黄色い小鳥の置物を手渡してやる。
「あらあら、ユーリもキカも良かったわねえ」
「はい、ありがとうございますお父さま」
「あいがちょうごじゃいましゅ」
「エカーテには絹織物をどっさり持って帰っているよ。今頃君の部屋に運び込まれているはずだから、侍女たちと分けるといい」
「良かったわ。わたくしのこともきちんと覚えてくださってたのね」
 悪戯に微笑む妻に、シラーは「もちろんですよ」と恭しく彼女の頬にキスを落とした。



 ユーリに持って帰った望遠鏡は、セントリンド大陸の国で作られ輸入されたもので、キリンの市場で買い求めたものだった。
 精巧な造りは値段のわりによくできていて、意外と遠くまで見渡すことができる。
 シラーはユーリから望遠鏡を借り、自分もガラスの筒を覗いてみた。
 小船の上から見上げるカリフ城。
 シラーが生まれ育ったこの城は、白い石ばかりを積み上げて建造された優美な城である。
 小高い人工の丘には緑の芝が生え、城を囲むように果樹も植えられている。
 リーラ湖から一番よく見えるのは、五角形の城郭の第二塔。その塔こそ、シラーたち王族の居室がある塔である。
 自分たちの部屋の窓は、果たしてどの辺りなのか。
 シラーは何気なく望遠鏡の視線を滑らした。
(あれは・・・?)
 そしてふと、尖塔と見遣った時、その窓辺に何かが映った。
(人形?)
 身じろぎもしないその人影に、シラーは眉をひそめる。
 なぜあんなところに人形が?
 もっとよく確かめようとして、しかし望遠鏡の持ち主にいい加減返してくださいとせがまれてしまった。
 ユーリはお土産の望遠鏡を気に入ってくれたようだ。じっと目蓋の上にあて、きょろきょろと首を巡らし少しも手放す様子がない。
 それからしばらくユーリの気のすむまで、王太子一家は湖上の舟遊びを楽しんだ。



 その日以来、シラーゴートはたまに第二塔の先を見上げるようになった。
 ベルトに小さな革の巾着を提げていて、そのなかに小ぶりの望遠鏡を忍ばせている。もちろんユーリにあげたものとは別のものだが、こちらもセントリンド製の青ガラスの美しい望遠鏡である。
 王太子の執務の合間を縫って、わざわざ湖にボートを浮かべて塔を見上げるのは、塔の上部は城から少し離れていたほうが見やすいからだ。
 あの日、人形だと思った人影は、どうやらまだ若い男であるようだった。
 しかしいつも窓辺の同じ位置に立ち、ぼんやりと湖面を見下ろしているその姿に、最近になってなんんとなくやはり人間ではないような気もしている。
 瞬きさえしていないのではないかと思わせるほど、人形のように表情も感情も抜け落ちたその姿。たとえ亡霊だったとしても、もっと何かを訴えようとするだろうに。



 その日は特別に風が強かった。
 湖面の波も白くさざ波がたっていて、侍従はシラーがボートを出すことをためらった。
 少しだけだから、と語気を強めて命令し、小船をださせると、思慮深く、誰にも従順なシラーが我がままを言うのは珍しく、その侍従は目を丸くしていた。
 本当に、少しだけ青年の姿を確認したいだけだった。
 望遠鏡の向こうにある、黒髪と、虚ろな瞳を。
(いったい何を思っているのか)
 いや、何も心に思っていないのか。深い闇のように真っ暗な瞳をしているのだから。


 ふいに、青年の瞳がちらりと湖面をはずれ、空を見上げたようだった。
 流れの早い雲を見たのだろう。それはほんの僅かな動作だった。表情は変わらない。
「あ・・・」
 知らず、シラーは己の胸に手を当てている自分に気付き、愕然とした。
 ただ、青白く痩せた顎が、視線とともにほんの少しだけ持ち上がった、それだけのこと。
 しかしたったそれだけの静かな動作が、シラーの心臓に矢を撃ったように響いていた。








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