第2章 5



   「」が異世界語・『』が日本語



 笑いをこらえるような、大らかな声が背後からかかったのはその時だった。
「タツキさま、そのように窓の外をじっとご覧になっていらっしゃったら、馬車に酔ってしまわれますよ」
「メイーノさん・・・」
 振り返ると、ソファのすぐ隣に座っている恰幅のよい年配の女性が、優しく微笑みなかが達樹を見つめていた。
 褐色の肌に亜麻色の瞳と髪。
 メイーノはミヤ青年の母親で、リヒトの乳母でもあり、いまは侍女頭としてミヤとともにリヒトの屋敷で働いている。
 見た目の印象はなんだか肝っ玉母さんって感じの人だ。初めて紹介されたとき、達樹は思わず「お母さーん!」とメイーノの大きな胸にすがり付きたくなった。まあ中身は王子に仕えているだけあって、とても上品な女性なのだが。
 向かいのソファに腰かけている下女のカリンとアイネも、気が付けば達樹の様子をニコニコと満面の笑顔で眺めていた。
 それぞれ赤毛と栗毛をひとつお団子にひっつめて、ぽっちゃりめの両頬をむき出しにしている。
 二人はいつも屋敷のなかで着ているシンプルなお仕着せではなく、旅支度用にめかし込んで、裾に小花の刺繍が入ったオレンジ色のエプロンスカートを着けているもより可愛らしく見えた。
(ぎゃああ! 恥ずかしい! 俺って、初めて電車に乗った子供みたいだった!? べちゃって窓にくっついて!)
 さっきまでの自分の格好を思い出し、達樹は真っ赤になってちょこんと小さく座りなおした。
 そんな美少年の初々しい様子が、またしても車内に微笑ましい空気を撒き散らしているのだとは、ちっとも自覚していない達樹である。



 達樹が乗っている二頭立てのこの馬車には、達樹、メイーノ、カリン、アイネの四人が乗っていた。そんなに大きくない馬車なので、車内は四人でちょうどいいくらいの広さだ。その馬車を、二人の御者が操縦している。
 先導にはお付きの騎士が三人と、それぞれの従騎士。馬車の後ろにはもう一台、一行の荷物を乗せた荷馬車がついていて、その後方から、主役であるリヒトとその従騎士コーノ。さらになぜか深緑の騎士のヒューズとルクスが一緒に来ていて、ヒューズは彼の従騎士だというサンダという青年を供にしていた。
 いつもは徒歩(かち)で付き従う従騎士たちも全員が騎乗していて、人間が18人、馬が14頭の大所帯での移動である。
 よく考えてみれば、リヒトの屋敷からさほど遠くもないカリフ城に行くだけで、こんな大人数が玄関に待ち構えている時点でおかしいと気付くべきだったのだ。
 城に行ける! と、ただそれだけで冷静な判断ができなくなっていた自分が恨めしい。
(俺、ちょっと浮かれてた?)
 激しく自己嫌悪し、反省する。
 だが、納得いかないのはリヒトだ。
 彼はたしかに達樹を城に連れて行ってくれると言ったではないか。
「あの、メイーノさん」
「なんでございますか?」
 この肝っ玉母さんは、達樹に対して畏まった言葉で話しかける。彼女だけでなくリヒトの屋敷で働く人間のすべてが、達樹にはやけに丁寧な態度で接してくるのだ。
 無理やりリヒトの侍従をさせられているが、ただの神官見習いの子供でしかも居候なのだから普通に接してくださいと、いくら言っても誰も聞いてくれないのである。
 全員が全員、「殿下に叱られますから」とまるで理由になっていない答えとにっこり笑顔ではぐらかされて、達樹は意味が分からないまま納得させられた。
(俺、ご主人サマでもなんでもないんだけどな・・・)
 名前を様付けで呼ばれるのも恭しく持ち上げられるのにも、尻がむず痒くなるばかりでまったく慣れない庶民の達樹であった。



 メイーノは微笑むと、やはりミヤに似ている。
 さすがは親子だ。と達樹は感心して彼女を見上げた。
「あ、あの、私はお城に行くと王子からお伺いしていたのですが、どうしてこの馬車はカリフ城へ向かっていないのでしょう・・・?」
 なんでだ?
 もしや回り道をしてるだけ?
(そうであってくれ!)
「え? タツキ様、殿下からお聞きしておられないですか?」
「え? なにをでしょう」
 びっくりしたようにメイーノに聞かれ、逆に達樹のほうが驚いてしまった。
(いやいやいや、聞いてねーからあなたに聞いてんだけど!)
「このたびの私たちの目的地は、王都の北西、ロンバーク地方カバスナ領でございますよ。カバスナ領主ジュノス二位爵様の御三男で、殿下のお従兄でいらっしゃるトライス様のご結婚祝いの一行なのですから。まあ、馬車で十日ほどのところでございますから、そんなに遠くはございませんわ」
(ばっ・・・とっ・・・)
 馬車で十日!!??
(じゅうぶん遠いよ!!)
 達樹が目を丸くして言葉を失っていると、メイーノは「あら」と首をかしげたようだった。
「まあ、本当に殿下からなにも聞いてらっしゃらないのですね」
(聞いてらっしゃらねえよ!!)
 と、ぶんぶんと首を縦に振る。
「し、しかし、たしかに王子が、城だと」
(言ったのは、嘘だったのかよ!?)
「ああ、それは多分、暁(あかつき)城のことでございますわねえ。カバスナ領のジュノス卿のお館が、燃えるような濃い赤土のレンガで造られていて、まるで朝焼けのように輝いて見えることからそうも呼ばれているのです。カリフ城には及びませんでしょうけど、評判の、とても美しい館だそうですから、楽しみですね」
「タツキ様、ロンバーク地方は温泉で有名な土地だそうです。お肌にいいお湯が出るのだそうですよ」
「その温泉目当てにたくさんの貴族の方が別荘を建てられていますけど、そのなかでもやはりジュノス卿のお館が一番立派なのだとか・・・」
 カリンとアイネがきゃっきゃと軽やかに口を添えた。
(なんですと!? 温泉? やったー俺、温泉だーい好き!湯船さいこー鼻歌バンザイ・・・ってノッてる場合じゃない!!)
 城は城でも城違いだっつーの!!
(どうすんだ、俺・・・!?)
 達樹はがっくりと肩を落とした。








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