第2章 6



   「」が異世界語・『』が日本語



 リヒトの従兄は、王族じゃなかったのか・・・。
(でも、領主の息子で? 家が二位爵ってことは、大貴族なのはたしか?)
 どうも基本的な知識がここでも抜けているらしくて、それから馬車のなかで、達樹はメイーノからジュノス卿のことやトライスについて、またこの世界の貴族の階級について尋ねなければならなくなった。



 トライス・イーク・ジュノスがリヒタイト王子の従兄にあたるのは、トライスの母であるジュノス卿の妻が国王カインベルクの実姉にあたるからだった。
 王女は臣下に降嫁すると、ただの貴族になる。
 したがって、トライスはリヒトの従兄だが王族ではないのだそうだ。
 そもそもユーフィール王国の貴族制度というのは、公侯伯子男という爵位でなく、一位から五位と、准位という爵位になっている。
 一位爵というのは王族が臣下に下り家系を創始するときに与えられる爵位であるから、実質的な貴族階級は二位から始まる。
 地方を治める貴族に与えられるのが三位爵。また宮廷の重臣たちや、大貴族の当主の子弟に与えられる四位爵、五位爵までが上級貴族とされ、それ以下の准位爵の貴族たちは下級貴族と分けられた。メイーノの実家もこの准位爵の下級貴族になる。
 ジュノス卿はロンバーク地方カバスナ領の領主であるが、本人は王宮の法務大臣の要職にあり、その屋敷は王都サンカッスにある。
 領地は荘園として国王より拝領したものであり、ジュノス家の家臣を代官として遣わす代わりに、三男トライスに治めさせているのだった。
 一位から五位までの爵位を持つ上級貴族というのは、多くの貴族のなかでもほんの一握りにしか与えられていない特権階級である。
 なので、モーランド二位爵家の子息であるヒューズやジュノス二位爵家の子息であるトライスは、大貴族中の大貴族、やんごとないお坊ちゃんなのだそうだ。
(あのヒューズさんを見るかぎり、そんな大層な家の人間にはとうてい見えないんだけどなあ・・・)
 いつもふざけて同僚のルクスをからかったり突いたりしては嫌がられている、蜂蜜色の髪と水色の瞳の優男の姿が、どうしても良家のご子息という身分に結びつかない。
(ってか、ただの遊び人にしか見えないんだけど)
 本人が聞けば手を叩いて大喜びしそうな情景さえ、ありありと浮かんで、貴族のお坊ちゃんというイメージがいまいち湧かない達樹であった。
 その点リヒトは、ザ・王子様である。
 他人に命じることを当たり前とし、仕えられる立場に寸分の抵抗なく馴染んでいる。
 根っからの上流階級。
(セレブだ、セレブ!!)
 でっかいブランデーグラスだの白いバスローブだの毛足の長い猫だの、陳腐な想像力で精一杯のセレブ像を頭のなかに作り上げていると、コンコンと、馬車のガラス窓を外から叩く手があった。
 見れば、従騎士のコーノがたくみに騎馬を操縦しながら馬車に横付け、身体ごと腕を伸ばして窓をノックしたらしかった。
 達樹が窓を開けて顔を覗かせると、コーノは馬ごと下がり、今度はリヒトが現れた。
「馬車には慣れたか?」
 リヒタイト王子は、たてがみをぴっちりと編み込んだ黒毛の愛馬に乗っていて、深緑のマントを優雅にひるがえしている。
 悔しいけれど、その威風堂々たる姿は素直にカッコイイと認めざるをえない。
(う、セレブめ)
「・・・馬車は、大丈夫です」
 本当は正直、尾てい骨に響く車輪の振動にはまだ慣れない。
 ソファのクッションは非常にふかふかして最上級のものだと分かるから、馬車が悪いわけではないだろう。
 道が、悪いのだ。
 東京育ちの達樹には、舗装されていない道を走る経験がない。
 リヒトはじっと達樹の顔を覗き込むと、わずかに眉間をしわ寄せたようだった。そして軽く手をあげて後方に合図のような視線を送る。
 すると、斜め後ろに付いていたコーノがまた馬を歩ませ、御者になにかを指示しに行ったようだった。
 まもなく、ゆっくりと馬車が停車し、御者の手によって扉が開かれた。



 達樹は、御者の手に助けられ馬車から下され、今度はリヒトの馬に相乗りさせられた。
「外の空気に触れるぶん、馬車より気分が楽なはずだ」
 どうやら内心を、見抜かれていたようで、さきほと顔をじっと見られ眉をひそめたのは、達樹がリヒトに遠慮して出た言葉を咎める表情だったのだろう。
(おー。なんか、いい奴?)
 さすがに王子様はフォローの仕方が紳士だ。
 こういうのがいい男というのだろう、と感心する。
 だが。
(・・・でもさ、こ、この格好は)
 リヒトの前に正面を向いて馬にまたがり、背後から両腕で抱きかかえられるような姿勢で座らされている。
(な、なんかヤダ、これ!! こっ恥ずかしい!!)
 真っ赤になってもぞもぞしていると、頭上から諌めるような声がかかった。
「あまり動くと、落ちるぞ。しっかり鞍の前を持っていろ」
「は、はい」
(ぎゃあ! この格好は恥ずかしいけど、落馬はもっとヤダ! 死にたくない!)
 素直に大人しくなった達樹の様子に、リヒトはふと微笑をこぼす。
 柔らかな黒髪からのぞく小さなつむじが非常に愛らしいと、優しく見下ろしたその表情が、普段の彼には滅多に見られないものだということは、もちろん達樹は知る由もない。
 そんなリヒトに、背後からヒューズが口笛を吹いて馬を早めてきた。
「これはこれは、殿下はやけにご機嫌ですねー。タツキのおかげですか」
「黙れヒューズ。おまえは後ろでルクスでも構ってろ」
「いやあ。それが構いすぎて、さっきから口を利いてくれないんですよ」
 ヒューズの言葉に、達樹がそっと身をよじって後を伺うと、一行の最後尾を行くルクスは、おそろしく不機嫌な空気を漂わせ、むすっと口を引き結んでいた。
 目が据わっていて、なんだか黒いオーラまで見える。
 とっさに達樹はリヒトの腕のなかに隠れるように姿勢を直した。
(ぎゃあ、ちょー怒ってる感じだ!!)
「ね?」
 と肩をすくめるヒューズには、しかし反省の色はない。むしろ喜んでいる。
(こ、この人って・・・)
 思わずルクスが気の毒になった達樹であった。



 どうやらリヒト王子とヒューズは幼い頃からお互いに交流があったようだ。それは彼らの話し口調からうかがい知れた。
 そういえば先ほど馬車のなかでメイーノから、上級貴族の子弟は子供の頃は行儀見習いの小姓として王宮に上がらされるのだと聞いた気がする。
 リヒトと年の近いヒューズは第三王子の遊び相手となり、その仲間内に、今、結婚祝いを届けに向かっているトライスもいたのだそうだ。
「殿下とトライスと私と、大抵は三人でつるんでたんだよ。まーいろいろ悪戯して遊んだなあ。良くも悪くも、ね」
「はあ・・・」
(良くも悪くもって、いったいどんな悪戯?)
 ぱちんと、星でも飛ばしそうないきおいでウインクしてくるのん気なヒューズに、達樹はたじろぎながら返事をした。
 そんなヒューズにリヒトがじろりと睨みを寄越す。
「余計な話はするな」
「おや? もしや殿下、タツキに知られたくない過去でもあるんですか?」
「そうじゃない。単におまえがしゃべると頭が痛くなるだけだ」
「わーあ! そりゃ大変だ。メイーノに言って薬を貰わなくては」
「・・・」
 これ以上はとり合っていられないと、リヒトは黙って馬を進めた。








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