第2章 7



   「」が異世界語・『』が日本語



 田園のあいだの白い一本道は、この上なくのどかだった。
 風に揺れる青々とした草いきれの隙間からは虫たちの鳴き声が聞こえ、固まって飛ぶ鳥たちの影が青空を横切ったりしている。
 日本の田舎道というよりは、多分ヨーロッパのそれに近いのだろう。
(ヨーロッパの田舎なんて行ったことないけどさ)
 両親ともに東京出身で、そもそも田舎というものを知らない達樹には新鮮な景色で、異世界に飛ばされてしばらく経つというのに、いまだこの視界のほとんどを締める大空には感動を覚える。
 東京の、スモッグに汚染された狭い灰色の空とは違う。
(青空って、ホントに青かったんだ・・・)
 白い雲とのコントラストが目に眩しい。
 はるか前方にかすんで見える薄く青い山脈。
 路傍の合間、ところどころに植わった背の高い樹々。
 畦にたくさん咲き、綿毛を飛ばしているタンポポ。
 カッポカッポと馬の蹄の響く音。
 電車の時刻を気にすることもなく、車のクラクションがうるさい交差点もなく、街路に飛び交うノイズもない。
 なにもかもがゆったりとしている。
 心地よい微風を頬に受け、馬上から眺める目の前の景色のなんと気持ちいいことか。
(いいところだなあ、異世界って・・・)
 背中に当たるリヒトの体温さえ、今は優しいゆりかごのようで、昨夜は興奮してあまり寝付けなかった達樹は、思わずうつらうつらと船をこいだ。



 かくり、と達樹の首が傾いたのでリヒトが見下ろすと、少年はリヒトの腕のなかでどうやら寝入ってしまったようだった。
 鞍にかけていた手が離れたので、リヒトは左手を手綱から外し、達樹の腰に巻きつけてその華奢な身体を支えてやる。
(細い腰だな)
 森で出会ったときはこの腰に長剣を提げ、あまつさえその剣をリヒトに突きつけてきた。
 屋敷に来て、神官装束を脱ぎミヤに用意させた貴族の衣装を着るようになってからはその剣は見ない。屋敷のなかで小間使いをするのに邪魔になり、すっかり外してしまったのだろう。
 そもそも神官見習いが長剣を持っていること自体が不思議だ。
 いつだったか、何気なくそれを問うたときに、無理やり渡されたのです、と達樹は困ったように答えていた。そのときの表情がまたやけに愛らしくて、リヒトは思わず抱きしめてしまったのだ。
 たしかにあの白い革でできた細身の鞘は優美で、この少年の容貌にじつに似合うものだった。遠方から来たと言うから、身を守るために持たされたに違いない。
 ぎゅっと、達樹の腰を抱く腕に力を込める。
「ん・・・」
 甘く鼻に抜けるような声に、リヒトはわずかに身体を熱くした。
 透き通る白い肌。つややかな唇。儚くも可憐な花びらを思わせるその全身が、思わず手折りたくなるような愛らしさなのだ。
 いつ悪漢に狙われ、かどわかされてもおかしくないだろう。
 どうも、この美しい少年は自分の容姿に対する自覚が薄く、まわりが溜め息を吐きたくなるほど無防備だ。危なっかしいことこの上ない。
(護身のために、やはり外出のさいは持たせておいたほうがいいか)
 今、リヒトの胸にぺったりと半身を預け、くうくうと寝息を立てる達樹を見下ろし、リヒトはやけに構い倒している自分に苦笑した。
 守ってやりたい。
 側にいればいるほど、そう思わずにはいられないのだ。
 このまま腕に閉じ込めて、一時も手放したくない。




 昼食だのティータイムだので起こされて、二度ほどの休憩を挟んでそろそろ日が暮れかけるのではないかと達樹が危惧し始めた頃、もうすぐ最初の村に到着すると告げられた。
「トレア村という。王領の直轄地だ。とりあえず今日はそこに宿泊する」
「え?」
「どうした、ぼくちゃん? まさか野宿だとでも思っていたか?」
 またも考えを見抜かれて、その通りだと思っていた達樹は顔を赤くした。
(だってさー、いままでほんと民家も何もない道をずっとやって来てて、まさかちゃんと村があるなんて思わないじゃん)
 そんな達樹を見下ろして、リヒトはにやりと笑った。
「心配しなくても、おまえを連れて来るのにむざむざ野宿などさせないさ。カバスナ領までの街道は結構大きいからな。途中、宿屋はいくらでもある」
「・・・」
(すみませんねー、なんにも知らなくて)
 だって異世界旅行なんて初めてなんだもん!
 ユーフィール国のおおまかな地理はサーラさまたちから習ってはいるが、まさか国内旅行をする羽目になるとは予想もしていなかった。
 まして、現代日本とはまったく勝手が違うこの異世界。十日もかかるという旅程で、ちゃんと宿屋に泊まれるなど思いもしない。
(いや、ここって気候いいから、俺はべつに野宿でも全然平気だしさ。つかむしろやってみたい。野宿! アウトドア! 野外活動!)
 潔癖症でもなんでもない、基本大雑把な性格をしている達樹は、道端で雑魚寝しようがどうしようが構わない。が、どうもリヒトは達樹にそれをさせるつもりはないようだった。
「そういえば、村には祈祷所があるはずですよね?」
 祈祷所はどんな田舎でも各村に必ずひとつは設けられていると女神たちから聞いていた。
 この世界において、信仰は根深く浸透しているものだからだ。
「トレア村の祈祷所ならば、すぐそこだ。宿屋に入る前に寄ってみるか?」
「あの、良かったら、ぜひお願いします」
「他ならぬぼくちゃんの頼みだ。どんなことでも聞いてやろう」
(ぎゃあああ!! だーかーらーいちいち顔を近づけるなあああ!!!)
 しかし悲しいかな、馬上でぴったりと身を寄せ合っているため、達樹は背後からリヒトが頬にキスを寄越してくるのを避けられなかった。
 ちゅっと音を立ててリヒトの唇が離れても、その濡れた感触が生々しい。
 頬だけで足りないのか、リヒトはそれから達樹のつむじにもキスを落としていた。
(ううう・・・またしてもセクハラ・・・サーラさまに文句言ってやる!!!)
 仮にもここでの身分は神官見習いになっている達樹は、よく考えてみれば祈祷所に行ったことがなかった。
 こちらに飛ばされてすぐにヒューズたちによってリヒトの屋敷に連れて行かれ、結局そのまま屋敷から出ることなく過ごしていたのだ。
 王都の祈祷所にすら行っていない。
 果たして祈れば王子のセクハラは止むのか。
(どーなの!? 女神さま!!)








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