第2章 8



   「」が異世界語・『』が日本語



 この世界では、各国の王家にはその血脈を守護する神々がそれぞれにいて、王たちはその神々を祀る。
 つまりは王国の数だけ神々があり、違う信仰がある。王家が途絶えればその神は消え、新たに王国が建設されれば、やはり新たな神が誕生するのだそうだ。
 各国の王宮の敷地内にはかならず神殿が造られ、王と大神官による主な祭典はそこで行われるが、民のほとんどは祈祷所と呼ばれる建物で神々に祈りを捧げることになっていた。
 作物の豊作を祈るとき、伴侶との愛を誓うとき、犯した罪を懺悔するとき、家族や友人の健康を願うとき、人々は祈祷所に足を運び、神々の像にひざまずく。
 さらに田舎のほうだと祈祷所が子供たちの学校代わりにもなり、信仰と、信仰の場が人々の生活に深く根付いていた。
 祈祷所には神官以下、神官見習いが住んでいて、大抵はその地方の出身の者がそのまま勤める場合が多い。が、まれに、過疎の地域などでは近隣や都市部の祈祷所から派遣されることもあるらしかった。



 外観はそんなに派手ではない。
 灰色の石壁に囲まれた、二階建ての四角い建物といった質素な造りだ。
 派手好きな女神さまたちにしては珍しい、と達樹は第一印象でそう感じたが、しかし各国各地方の祈祷所というのは大体同じような造りになっていて、信仰する神々が替われば―――つまり、戦争などにより他国、他王家からの侵略に遭えば、ということだ―――多少祭壇の飾りが変わるくらいなのだそうだ。
 入り口の木製扉を開けてすぐは細長い身廊があり、左右の側廊との間には対象に細い柱が並んでいる。
 5ガン(約9メートル)ほどのその身廊を抜けると、その奥に祭壇の部屋があり、内部は天井近くの壁にステンドグラスの絵画がはめ込まれていて、様々な色の光が洪水のように混じり合って床まで射し込み、静謐で、神秘的な美しさがあった。
 祭壇自体は凝った造りではなく、長方形のテーブルに、金糸で刺繍された深緑の布をかけ、その上に1ジーナ(約30センチ)ほどの高さの、ローカイムの花弁に座す三姉妹神の三体の神像と、銀細工の燭台や白磁の香炉がいくつか置かれているくらいである。
 規模の大小はあれ、ユーフィール国では他の祈祷所もこことそう変わらないらしい。
 このような祈祷所の一階は祭壇の部屋のほかに台所や客間があり、二階はおもに神官たちの居住スペースと書斎になっている。



 リヒトたちを出迎え、祭壇まで案内したのは老齢の神官だった。
 左右の衿を身頃のまえで合わせる白い上着は、達樹がこの世界に飛ばされてきたときに着ていた格好と同じ神官服だが、帯だけが違う。見習いがつける紺色のそれとは違う、幅広の緋色の帯は、10年勤め、正式な神官に任命されてようやく着けることを許される色だ。
 祈祷所のなかはやけにしんとしていて、常時10名前後はいるはずの神官たちの姿の、そのほとんどが見当たらなかった。
 六十は越えていると見られる白髪のこの老神官のほか、まだ祈祷所に来て間もないだろう十歳ばかりの幼い神官見習いがひとり、さきほど書物を抱えて二階に上がっていくのを見ただけである。
 不審に思っているリヒトの表情を読んだのだろう。
「今日は、所用でほかの者はみな出払っております。二三日うちには戻ってまいりますが、今は私とあの見習いの者しかおりません・・・」
 問われるまえにそう答えていたが、リヒトのねめつけるような強い視線に耐えかねて、老神官は怯えたように額に汗を浮かせた。
(なにか、隠しているな)
 リヒトは老神官の額の汗のシワに滲むその汗を冷ややかに見下ろした。
 祭祀をとり行う王家一族への隠し事は、本来決してあってはならないものだ。
 なぜならこの世は王が成って、神々があり、はじめて神々への信仰が行われる。
 王家なくしては神々の守護はありえない。
 神官らは、ただ信仰の伝道者でしかないのだ。
 よっていくら隠し事をし、王に内緒で何事かを企てたとしても、神官たちと王家の対立に意味はないということを誰もが知っている。
 リヒトはすぐに老神官から興味をなくし、達樹の背を押して祭壇のまえに立った。
 目下、彼の琴線に触れる一番大きなものは、年老いた神官などではなく、かたわらの美少年ただひとり。
 その達樹はいくらかきょろきょろと祭壇のまわりを見渡したあと、黒曜石の美しい瞳を閉ざして祈りを捧げているようだった。
 三姉妹神に祈る熱心なその姿は、やはり彼が外国の貴族などではなくただの神官見習いであるという証拠だろうか?
(・・・いや、もう出自などどうでもいい)
 今現在、自分のそばにさえあればいい。
 白い眉間を寄せて黙り込む、いつになく真剣なその表情さえ愛おしく、リヒトは思わず細い肩を抱き寄せずにはいられなかった。








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