第2章 9



   「」が異世界語・『』が日本語



 はじめて目の当たりにする異世界の祭壇は、祖父母の家の仏壇しか拝んだことのない達樹には物珍しいものに映った。
 中世の修道院の祭壇が、こんな感じなのかなとぼんやり思う。以前にブームになったなんとか文書とか、キリストの出生の秘密がどうたらこうたらの映画がもてはやされたときに、テレビで見たドキュメンタリーのそれらに似たような気がしたからだ。
(まあ、こっちの神様はとんでもないお方だけど・・・)
 大理石のような乳白色の素材に彫られた三つの女神像は、ひっそりと慈悲深い微笑みを浮かべて鎮座している。
 女神たちの台座になっている蓮によく似た花は、こちらの世界ではローカイムという。そういえば、この異世界と日本とでは、食べ物や植物や動物など、おおかたは達樹の世界にもあるものがほとんどだが、たまにどちらか一方の世界にしかないものがある。
 例えばこのローカイムの花がそうであるように、この花は異世界にしかないが、薔薇やタンポポといった日本でも見かける花もある。またリンゴの実はあるがこちらでは青リンゴという品種はなくリンゴといえば全部赤い。
 普通に生活するぶんには困ることはないが、たまに知らない名詞に出会うことがあり、そのたびに達樹は「私の田舎では違う名前で呼んでいたもので・・・」と苦しい言い訳でごまかすことにしていた。



 静かに微笑む女神像のその姿は、すべてを包み込む心優しい女神そのもので、彼女たちの実際の唯我独尊な本来の性格を骨身に染みて知っている達樹は、なんとも苦笑いするしかなかった。
(みんな、騙されてるよね!!)
 夢のなかでさんざんしごかれた妖艶なる容姿の彼女たちの、甲高い高笑いが聞こえるようだ。
 この世界のご祈祷スタイルがどういったものなのかは分からないが、とりあえず達樹は顎の下で両手を組んで目を閉じた。
 手のひらを合わせなかったのは、お仏壇じゃないしなー、という女神さまへの配慮である。
(あー、あー、ごほん。サーラ様、ユーラ様、リーラ様、聞こえますかー!? あなたの忠実なるしもべ、加賀達樹です!! ただいま絶賛任務遂行中です!! 聞いてくれてますかー!?)
 ちら、と片目を開けて女神像を見てみる。
 変化なし。
(ご祈祷ってことは女神様にお祈りすることだよね? つまりお話聞いてもらうってことだよね? ちゃんと女神様に届いてんのかな?)
 肝心なことだが、日本にいる間は夢のなかで嫌でも女神たちと会えていたが、この異世界に来てからはまったく彼女たちの夢を見ないのだ。そういえばこちらからの連絡の取りようを教わっていない。
 なんとなく達樹は神官見習いの格好をさせられた時点で、祈祷所で祈っていれば女神たちと交信できると考えていたのだ。
 だって、神子だし。という単純明快な根拠で。
 しかしいくら祈れど女神の声は聞こえない。
 やはり、変化なし。
(え? ってことは、つまり、使命をまっとうするまで音沙汰ナシってこと? それって究極の放任主義じゃね!?)
 本当ですか女神様!
 マジで聞こえてませんかー!!?
 ぎゅっと目を閉じて、もんもんと頭のなかで語りかけていると、ふいに大きな手が達樹の肩を引き寄せた。
(ああ、なんだ!? ジャマすんなよ!)
 と、隣を睨み上げてみれば、リヒトがやけに優しい目つきで達樹を見つめている。
 ななな、なんで?
(ぎゃああ!! なんだその目は! 愛しい者を見守るかんじっての!? や、やめてくれ!!)
 鳥肌が、鳥肌が!
 と訴えるように睨みつけるがまったくもって効果なし。
 それどころか達樹と視線が合った途端、リヒトは嬉しげににやりと笑い、ますます肩を抱く力が強まってしまった。
(は、放せってこのセクハラ王子が!!)
 密着していると、かすかにリヒト愛用の香の匂いがした。この異世界で香を焚く習慣があるのは身分の高い者だけの特権である。
 エスニックな香りというのだろうか。真面目な学生で通していた達樹は香水など使ったことがないが、クラスメイトの男子で似たような香りのコロンを持っていたやつがいた気がする。たしか高橋という、学年で一番女子に人気だった嫌味な男だ。
 しかし、リヒトの香りはその級友がつけていたブランド品のものより、もっと深くて品のいい香りな気がする。
 高級な大人の男にしか似合わない、落ち着いた、それでいて野生の獣をも思わせる、危険な男の―――。
 惹き寄せられる、香り。
(ああ俺、この匂いは、ちょっと好きかも・・・)
 くんくんと鼻を鳴らしてもっと嗅ごうとして、しかし達樹は寸前ではっと我に帰った。
(ぎゃっ! 血迷っちゃダメだ! なに考えてんの、俺!?)
 危ねー危ねー!!
 俺ってもしかして流されやすいの!?
(思い出せ俺の使命! そして冷静になれ!)
 達樹の使命は、この国の奔放な王に女神への信仰を取り戻させることだ。
 ならば、王族であるリヒタイト殿下も信仰を大事にしなければならないのではなかろうか?
 間違っても女神の祭壇をまえに達樹にセクハラをしている場合ではないはずだ。そして達樹も大人しくセクハラされている場合ではない。
「お、王子も、ちゃんとご祈祷なさってください」
(じゃねーと、俺が女神に叱られるんだよ! 怖いんだぞ、あの方たちは! 鬼ババなんだぞ!?)
「うん? 祈ってるぞ?」
 ど、こ、が、だー!
 何食わぬ顔で嘘つくんじゃねー!
「で、ではこの腕をお放しください」
「それはダメだ。それにこうして抱いていても、祈ることはできるだろう?」
(ぎゃあああ!! だーかーらー! それがセクハラ!!)
 いくら身をよじってもびくともしない力強い腕に、本当の本当になんとか女神にコンタクト取れないのかな、と身の危険を感じずにはいられない。
 降りた神子への不干渉。
 それが神々のルールなのか、単に女神様がルーズなだけなのか。
(いや、きっと絶対、面倒なだけだ・・・)
 そう思わずにはいられない。
 しかしとりあえずは。
(うぎゃあ! この手、放せって!!!)
 抵抗を諦めない達樹であった。








 back top next 









inserted by FC2 system