第2章 10



   「」が異世界語・『』が日本語



 祈祷所内でのセクハラをなんとか抜け出してからというもの、達樹はその晩の宿からいっそう身の危険に気をつけるようになった。
 だから、それからの旅はいくぶん順調ともいえる。
 ときおり旅人や農夫らと行き交う街道の旅路。
 リヒトがはじめに達樹に約束したとおり、村の宿や村長の家、街道の途中にある旅籠を利用して野宿などは一切なかった。
 天候にも恵まれ、いつも心地よい晴れ間が続いているのは、いまが雨の少ない季節だからだ。
 そして旅の間、達樹はそのほとんどをリヒトの馬に相乗りさせられていて、せっかくの馬車はメイーノたち専用となってしまっている。
 最初こそ、相乗り勘弁願います! と頑なに固辞していたが、それを上回るリヒト強引さに負け、いまでは密着した馬の二人乗りにもすっかり慣れてしまった。
 やはりどうも流されやすい性格である。
 だが、馬車に揺られるよりこうして馬上で風を受けているほうが気持ちがいいことは確か。
 青々とした草原の道を行く旅は、達樹にとってひどくのんびりしたものに感じられた。
 なんというか、のどか。だってこの国、戦争はないし、トラとかライオンとか出るような野生の王国でもない。
 っていうことは、つまり。
「・・・すごく、平和」
「そうでもないぞ」
(うぎゃっ! 聞いてた?)
 独り言のはずが背後から返事があって、達樹は飛び上がるほど驚いた。
「き、聞こえましたか」
「まあな。ところでぼくちゃんは、王都で怖い目に遭ったらしいのに、この旅がまったく安全なものだと思うのか?」
(怖い目って・・・)
 ああ、そういえば。
 言われて、達樹は異世界に来た日に、王都の路上で股間を膨らました数人の男たちに囲まれたことを思い出した。
 あのときはたしかに、貞操の危機であった。
 しかしいま、遠くの空から鳥の鳴き声が聞こえてきて、東京の喧騒になれた達樹にはやはりこの国自体、ひどく平和に思えるのだ。
(だってさー、警察二十四時とか、新宿歌舞伎町とか、猟奇殺人事件とか、やっぱりないんだもん!)
 自動車とかもないから交通事故だってないし。日本とかより全然平和でしょ。
 こくん、と小さくうなずく達樹の背後で、リヒトが達樹の白いうなじを見下ろしたのがなんとなく気配で分かった。
「田舎のほうはどうだか知らないが、この辺りはもう王領を過ぎている。この街道は貴族や商人の行き来が多く、追いはぎなんぞの盗賊はよく出るぞ。父上の代になって各地に騎士団を派遣するようになってから、だいぶ数は減ったがな」
「盗賊、ですか?」
(うぎゃあ! 怖ぇ! それに追いはぎって・・・なにをはぐの!? 皮? 皮をはぐの? カワハギ? ってそりゃ魚だっつーの!!)
 はぐといえば身包みだろうに、それが思い浮かばない達樹だが、とりあえず、異世界は異世界なりに危険があるのだけは分かった。



「大丈夫だよー、タツキ。そのために私たちが護衛してるんだから。安全な旅は保障するよ」
 いつのまにかヒューズが馬を進めてきていて、達樹たちの横についた。
「護衛、なのですか?」
(え、そうなの? だから一緒に来てたのか)
 この貴族のおぼっちゃんはリヒトや新郎のトライスと幼馴染みだから一行に加わっていただけかと思っていた達樹は、だから本当の理由に驚いた。
「そう。こいつは普段こんなにふざけているが、とりあえず深緑の騎士に違いない。こんなに見えて剣の腕は確かだ」
「えー、殿下! ひどいおっしゃりようですね。私のどこがふざけてるんですかー?」
 眉尻を八の字に下げ、おおげさに悲しそうな顔をしてみせるその態度がふざけている以外のなにものでもないのだが、本人は気付いているのだろうか。それとも、わざとか?
(ヒューズさんって・・・やっぱ強いのか? 全然見えねえ!)
 むしろ危険からは真っ先に逃亡しそうなかんじなのに!
 たいがい失礼な感想を浮かべながらヒューズの端整な顔をじっと見つめていると、当の色男は「なになに? 私に惚れちゃダメだよ」とまたまたふざけていた。
 そのヒューズの後頭部に、バシン、とルクスの鉄拳が炸裂する。
「なにアホなこと抜かしてやがる。次の村までもうすぐだ。気ィ抜くな」
 結構すごい音がしたから、絶対痛いはず、と容赦のないルクスに達樹は感心する。
(このひと、ちっちゃいのにツッコミはでけえ!)
 どうやら小柄なわりに力は強いようだ。さすがは深緑の騎士。
(そうだった。このひとも、ヒューズさんと同じ深緑の騎士だった。たしか、数多ある騎士団のなかから強いひとだけが任命されるんだよな?)
 言い争っている二人を見比べてみるが、どうもそんなに強いようには見えない。
 ただのナンパ野郎なホスト系ヒューズと、そこらへんの河川敷に転がってそうなやんちゃ系ルクス。
 もー痛いなあ、と涙目で後頭部をさするヒューズに、リヒトが自業自得だろうと呆れながら視線をやり、そして気付いたように目を細めた。
「次の村は、そういえばルクスの故郷だったな。―――そうかヒューズ、だからおまえ、トライスの館までの一行にルクスも連れて行けと俺に言ったんだな。この街道を通るならばかならずケイニー村を通るのを、おまえが知らないはずがない」
「あ、ばれましたか」
 ぺろりとヒューズは舌を出してみせる。途端、ルクスの眉間にしわが寄り、金色の瞳が気色ばんだ。
「はあ? どういうことだよ、おまえ、今度の任務・・・殿下の一行に俺を加えるよう無理に進言したのか?」
「うん、した。そうしたら君、久々に帰郷できるだろう?」
「俺、頼んでねえけど」
「うん。頼まれてないけど。だってほら、君のご両親にご挨拶しなきゃなんないし」
「はあ!? なんでおまえが俺の親に挨拶なんか」
「え、だって、将来を誓い合った仲だし」
「だっ、だ、誰と誰が、いつ、将来を誓い合ったよ!!」
「君と私。先日、ずっと一緒にいられたらいいねって言ったら、君もそうだなって。だから、それならやっぱりきちんとご両親に挨拶を―――」
「そりゃあくまで深緑の騎士としてだっ! 同僚としてだ!! だいいち居酒屋で酔っ払っての言質は無効だろうが!!」
「えー、そうなの?」
 子供のように頬を膨らませるヒューズに、ルクスはどうやら怒りのあまり声を失ったようだ。
 明るい栗色の髪が猫のように逆立っている。
 近くで従騎士のコーノとサンダが、また遊ばれて・・・と哀れんだ目でルクスを見遣っていた。








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