第2章 11



   「」が異世界語・『』が日本語



 その晩の宿をとるケイニー村に到着した途端、ルクスは怒って実家に帰ってしまい、まったく懲りないヒューズはなぜか喜んで彼のあとを追っかけて行ってしまった。
 いつものことなので慣れているのか、リヒトはなんでもないように「明日の朝までには戻ってこさすように」とヒューズの従騎士であるサンダ青年に伝え、あとは適当に放任しておくらしい。なんだか見事な手綱さばきだと、達樹は感心する。ルクス&ヒューズ・コンビ取扱説明書とかあるのだろうか。
 この辺りはすでにロンバーク地方に入っており、このケイニー村はカバスナ領の一部で、明日にはトライスの館、暁(あかつき)城に到着するのだそうだ。
 北西の地方は農業が盛んな地らしく、地色もいい。麦や豆、とうもろこしといった穀物が多く栽培されていて、この地で収穫された穀物は王宮が管理する穀物庫に納められ、あるいは外国に輸出されたり国内でも他の地域に売られたりしている。
 街道の途中、麦畑を見ながらリヒトにそう説明されたとき、達樹は女神たちからユーフィール王国と国交のあるほかの大陸のことも習ったのを思い出した。
 豊富な農作物のほか、東の鉱山から取れる宝石なども輸出されているのだとか。
 「キリンという大きな港町があるのですよね」と応じていると、「そのうちに連れて行ってやろう」とリヒトは勝手に約束をしてくれた。
 巨大な貿易船が幾艘も海に浮かぶさまはそれは壮観であるらしく、王都とは違った賑わいだということで、それについては達樹は多いに興味が湧いた。
 そういえば、せっかく異世界に来ているというのに、達樹は市場などの繁華街を知らない。この旅の途中に逗留してきた村々でも、疲れてしまって宿に入った途端どこにも出かける元気がなかった。
(なんか、せっかくなのにもったいなくね?)
 そう思いはじめると、高校生な若い本能がむくむくと大きくなる。
 日本にいた頃、毎週末ではないものの、真面目な学生をしていた達樹だってコンパだなんだと友達に誘われて夜遊びを楽しんでいたのだ。
 ちょっとくらい羽目を外しても、バチは当たらないはずだよな?



 というわけで、その晩、達樹はさっそくリヒトにお願いして村の居酒屋なる場所に連れて行ってもらうことにした。最初しぶっていたリヒトだったが、どうしても、という達樹のお願いに最終的には折れてくれた。
「いいか? 絶対俺の側から離れないようにしろ」
「は、はい」
 普段のリヒタイト殿下が、他人の希望を優先させる人間ではないことを知らないのはおそらく達樹だけだろう。
 ありがとうございます、と長い睫毛に縁取られた大きな黒瞳をキラキラと輝かせて大喜びしている達樹を見下ろし、リヒトはどうも甘くなったものだと密かに苦笑した。
 居酒屋の建物は達樹たちが泊まる宿屋のすぐ近くにあった。
 三階建ての石造りで、達樹の想像するファンタジーの世界通り、ジョッキの絵柄が描かれた木製の看板が入り口に垂れ下がっていて、まんまRPGな世界にゲーム好きな達樹としては嬉しくてたまらない。
 出がけに頭からすっぽりと被せられた地味目なマントのフードをちらりと持ち上げてその入り口を見渡し、リヒトの背後にぴったりひっついて建物のなかに入ると、途端、ぷん、と強い酒精の匂いが鼻につき、あっという間にガヤガヤと人溜りの騒音に巻き込まれた。
 陶製のジョッキを打ち付けて乾杯する音。野太い笑い声、女性たちの嬌声。竪琴に鈴、ラッパの楽器の音などが入り混じって、耳を押さえたいくらいやかましくてたまらないのに、むずむずと足元から興奮が沸き起こってくる。
(うぎゃあ! なんかすっげー楽しいんですけど!)
 これこれ、こういうの待ってました!
 きょろきょろと首を巡らす達樹の腰をしっかりと捕まえたまま、リヒトはさっさと空いているテーブルを見つけ、向かい合わせでなく隣同士に達樹を腰かけさせた。
 メイーノよりも恰幅のいい中年の女がすぐにテーブルまでやってきて注文を取り付けると、いくらも待たず、すぐにそれらは運ばれてきた。ジョッキと交換にリヒトが銅貨を支払う。
(へー、そういうシステムか)
 日本のたいていの居酒屋のように、帰りに伝票を持ってレジへ、というわけではないらしい。
 リヒトは大国の第三王子にあるまじきスマートさで会計をしていて、場末の居酒屋の雰囲気にもなぜか馴染んでいる気がする。
(もしかして、こういった場所によく行ってる、とか?)
 まじまじとその顔を見ていると、くだんの王子様はジョッキを傾けながら達樹ににやりと笑いを寄越した。
 どうやら、そういうことらしい。不良王子だ。
 この世界の主流であるワインが出てくるのかと思っていたら、ジョッキの中身はどうやらビールのようだった。ちびりと舐めてみると、日本のビールよりもちょっと炭酸が弱いくらいで、味はあまり変わらない。
 18歳の達樹は日本ではまだ未成年だから、こうして外で酒など飲んだことがない。(あ、カラオケ屋ではあるけど)あちらでは絶対に出入りさせてもらえない場所だ。
 そのうち社会に出て、サラリーマンにでもなれば、立ち飲み屋とかで焼き鳥に焼酎とか注文したりするんだろうなー、など想像しながらやたら馬鹿でかいジョッキを両手に挟んでいた。



 どこの世界にも逆ナンってあるんだなと達樹は感心した。
 達樹は地味なフードを被らされていたが、さすがに二人そろってそんな格好をしていれば怪しいだろうと、リヒトはそのまま素顔をさらしていたのだが、その精悍な男前の姿に引き寄せられて二人組みのきれいなおねーちゃんが「ねえねえ、一緒に飲みましょうよ」と陽気に声をかけてきたのだ。
「間に合っている」
「えー? そんなこと言わないで。あなた、旅の人でしょう? どこから来たの?」
「あたしらも旅の途中なのよ。王都へ行くの」
「邪魔だ。向こうへ行ってろ」
 リヒトはうざったそうにシッシと犬の仔でも散らすように手を振った。
(ぎゃあ、スーパー・ダイナマイツ・グラマラス・バディ様になんつー失礼な態度を! あやまれ! 今すぐゴメンなさいってあやまれ!!)
 年齢不詳な濃い化粧はいただけないが、しなしなっと大きな胸を重心にリヒトにもたれかかるそのナンパテクニックは男なら誰でもしてほしいシチュエーションじゃないか?
 うらやましい。なんだやっぱり男は顔か? 体か? 悪かったなー! ただの庶民派高校生で! 言っておくがその男は地位も名誉も持ってるがセクハラ魔王のド変態だぞ!
 心のなかでさんざん王子を貶める悪態を吐いていると、やはりそんなリヒトの横柄な態度が気に障った者たちがいたようだ。
「おうおう、兄ちゃん。ここは陽気にみんなで酒を飲むところだぜ? 仲良くしようや」
「せっかくこんなにキレイなお姉ちゃんたちが声をかけてくれてんだ。俺らもまぜてもらっていいかい?」
「そんなちっこいお子様と二人でしんみりやってたってな、おもしろくねえだろ?」
 下卑た笑いを浮かべながら達樹のいるテーブルを囲み始めた三人の男たちの態度に、リヒトの眉が不快にぴくりと動いた。







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