第2章 14 「」が異世界語・『』が日本語 ようやく到着したカバスナ領のトライスの館は、達樹が想像していたよりもずっと「お城」だった。 さすがに王都のカリフ城ほどのスケールはないものの、雑木林に囲まれた小高い丘の上にそびえる赤レンガのどっしりとした建物は、たしかに館というよりも城と言って差し支えない。 四つの隅塔をつなぐ幕壁に、合間には壁塔、屋上には石落としの狭間というスタイルは、むしろ要塞を思わせるだろうか。白亜のカリフ城が華麗だとすれば、こちらは厳然たる様子で無骨な感じさえする。 いままで通過してきた村々の和やかでのどかな景観に見慣れていた達樹は、だからいきなり現れた暁城の、周囲を威圧するかのような赤い城影の迫力に、思わずぽかんと口をあけて呆然と見上げてしまった。 大人しい老齢の家令に出迎えられ、一行は応接間にすぐに案内された。 重厚な外観とは裏腹に、内装はやけに優美である。壁一面にかけられたタペストリーは金糸銀糸をふんだんに用いて美しい風景を典雅に再現し、また、先祖の勇姿だろうか、いななく馬に跨った凛々しい青年や、穏やかに草原に佇む優しい女性の姿などが描かれている。しかも天井から吊り下がった巨大な円形の燭台には、いったい何十本の蝋燭とそれに火をつける労力が必要なのか、すぐには想像できないくらいの物が三つもぶら下がっているのだ。 白と薄紅色が波のように入り混じって模様を描く大理石の床はよく磨かれ、見下ろした達樹は自分の顔の輪郭がくっきりと映っているのに感心した。 玄関からこの部屋にたどり着くまでは長い絨毯が敷かれていて、王都のリヒトの屋敷などは比べ物にならないくらい立派なものだった。 (ぎゃっ! まさにお城ってやつだ! ドイツロマンス街道ツアーご招待だ!) なんか俺って場違いじゃね!? あまりにも立派な建物の様子に、庶民な達樹は思わずしり込みしているというのに、側にいるリヒトやヒューズは泰然と構えその豪奢な空間にしっくりと馴染んでいる。 これが、生まれの違いというものだのだろう。なんだかんだ言っても、彼らの血統はすこぶる高貴なものだ。 「ずいぶん久しぶりだ、トライス」 そう言ってリヒトが握手を差し出した相手は、頬にかかる黒髪の巻き毛と真っ青な瞳の華やかな顔立ちの男だった。 鮮やかな黄緑色の長い上着にエメラルドグリーンの上着を重ねて見事に着こなしている。少々軽薄そうな感じがするところはヒューズと通じるものがあるだろうか。 (うおー!なんかこの人、赤い薔薇とか育ててそう! 絶対!) と、見た目の印象だけで勝手な中身を想像する。 (そんでもって育てた薔薇の花びらを紅茶に浮かべて飲んだりするんだ、絶対!) と達樹はまた、さらに勝手な妄想を広げ、リヒトの影からトライスの顔をじろじろと見やった。 多分、歳はリヒトとそう変わらないだろう。お坊ちゃん然とした雰囲気がかもし出されている。 「最後に会ったのがいつだったか」 「そうだな。私が王都を離れてこの領地に来てから会っていないのだから、三年ぶりになるかな?」 差し出された手を取り、リヒトとトライスはがっちりと再会の握手を交わす。お互いに、自然と笑みがこぼれているようだった。 「そうか。そんなに経つのか」 「ああ、おかげで王都の喧騒などすっかり忘れてしまった。こんな鄙の地では大人しくするほかすることがないしな」 「嘘を言うな。この地にあってもおまえの浮名は王都にまで聞こえてきていたぞ」 「浮名などと・・・この領地の温泉にやってくるご婦人方と、少しばかり楽しくおしゃべりの時間をすごしているだけだ」 「おまえのことだ。口だけの付き合いとは言い切れまい」 「さあ・・・なんのことか分かりかねるが」 「そういうところが相変わらずだ」 「ははは、殿下はますます男振りが上がった。ご婦人方の口から殿下の話が出なかったことはないぞ。羨ましいかぎりだね」 繰り出される嫌味を飄々とかわし、トライスという男は涼しい顔をしている。さすがはリヒトやヒューズの親友をやっているだけある。側で傍観していた達樹などは思わず目を見張って二人の会話を聞き入ってしまった。 (ぎゃあ! 愛の狩人だよ、このひと!) どうやらトライスという男は大変な女たらしであるらしい。 ヒューズの言によると王都にいた頃は三人でつるんで色んな遊びをしていたそうだし、王都を離れても彼の噂が届いてくるとは、よほどの軟派者なのだろう。 まあ、身分もあって、王子の学友であり、金持ちで、さらに顔もいいとあってはモテないわけがない。 リヒトといい、ヒューズといい。 達樹はまわりに立つ男たちをぐるりと見回した。王位継承権第二位のリヒタイト王子。大貴族モーランド家の次男であり深緑の騎士でもあるヒューズと、同じく深緑の騎士であるルクス。それに付き添いの若々しい近衛騎士たち。よくよく考えればこんなに華々しい集団は他にないに違いない。 (しかもなんかみんなして体格だっていいしさ・・・なんだよ、今のこの俺との違いは! 不公平じゃね!? なんでサーラ様はこんな生っ白くて細っこいのが趣味なんだ! もっと筋肉を崇めればいいじゃんか! マッスル・パワーを尊ぶべきだって!!) 哀しいかな。美少年にされてしまった達樹の上腕二頭筋は、いまや無きに等しい。すべすべお肌に包まれた愛らしい全身は、花に例えれば白いスズランのごとき可憐さなのだ。 (お、俺・・・サッカー部だったのに・・・) 太腿だってその辺の女の子より細いに違いない。 かつて照りつく太陽の下でボールを蹴ってグランド中を駆け回っていた頃の姿など、その片鱗もない見事な変身振りに、達樹は改めて涙が出そうだった。 唇を噛み締めて悔し涙をこらえていると、やがて達樹は自分を見下ろしている視線に気がついた。 (え、なに・・・?) とキョトンと小首をかしげて見上げると、その視線の主はトライスであった。 顎に手を当てて、やけにじいっと達樹の顔に見入っている。 (ぎゃあ、な、なに!? なに見てんすか!? 俺がさっきじろじろ見てたから?) ごめんなさーい! 「君、名は・・・?」 「え、あ、あの・・・タツキですが・・・」 (なになに? 俺、どんな失礼なことしてたんすか?) 庶民な達樹はもちろんこんな謁見の間での作法など知らない。リヒトにただくっついていればいいのかと思っていたのだが。 (無礼打ちとかされたらどうしよう!) 達樹の見ていた時代劇では、こういうとき庶民は「無礼者!」とお侍さまに一刀袈裟がけに斬られてしまうのだ。 (うぎゃあ、俺、殺される!?) 「君は、いったい―――」 思わず、といったふうに伸ばされたトライスの手が達樹の頬に触れようとした、その途端に、リヒトの眉間が不機嫌に寄り、そして達樹を背に隠すようにして遮った。 「殿下、その少年は・・・」 「俺の侍従だが。それがどうした?」 「侍従? なんと、まあ・・・いったいどこで見つけたんだ。これほどの美童・・・」 どうやら、トライスは達樹の無礼を咎めたのではなかったらしい。 ほっとしたのも束の間、達樹はトライスの漏らした単語を耳に拾い、ん? と首をかしげた。 (び、びどーって、びどーって・・・もしかしなくとも俺のこと?) びどーって、美しい童、と書くびどーのこと!? (おえええ!) なんつーこっ恥ずかしい表現なんだ! 美少年って言われるよりもっと嫌!! じ、蕁麻疹が出そう! いや、出てる、絶対! だって背中がかゆいもん! 「王家の森で見つけたのだ。俺の小鹿だよ」 「すばらしい・・・あの森にこんな愛らしい小鹿が隠れていたとは。なあ君、殿下なんかの侍従をしているよりも私に仕えないか?」 「え?」 (・・・って、この人んとこに来たら、王子のセクハラから逃れられる?) それは・・・ちょっと、揺れるお誘いかも。 「我がままな殿下のお守りなど、そんな大変なことはミヤとコーノに任せておけばいい」 「おい、なんてことを言うんだ。俺のどこが我がままだ」 「そうじゃないか? なあ君、そうすればいい。私の館にいればなんの苦労もさせないぞ? 私のほうがきっと殿下なんかより優しく可愛がってやれる」 そうすれば、この世の春を教えてやろう。 リヒトの背後に隠れている達樹を覗き込み、その頬をそっと捉えて顔を寄せ、トライスは達樹の耳元に息を吹き込みながらささやいた。 (うぎゃあああ!! 結局どっちも変態じゃねーか!) やめてくれ! 謹んで丁重にお断りしまっす!! 鳥肌を立ててキッとトライスを睨みつけると、美少年のそんな表情さえトライスを喜ばせるだけだったらしく、やけに嬉しそうにくつくつと笑い、リヒトの肩に手をかけて真剣に達樹を譲る気はないかと問いかけて、そしてリヒトに邪険に断られていた。
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