第2章 15



   「」が異世界語・『』が日本語



 やがて、さきほどの家令が二人の女性を連れて応接間に入ってきた。
 一人は恐らく侍女なのだろう、大人しい顔立ちで、もう一人の女性にぴったりと寄り添うように、だが控えめに付き添っている。
 ならば、もう一人の女性というのが主人であり、トライスの妻になるという姫君なのだろう。案の定トライスはリヒトとヒューズに「我が婚約者どのだ」と紹介していた。
「同じロンバーク地方の貴族で、このカバスナ領のすぐ隣、エン領はイリエ三位爵のご息女、ロザモンド嬢だ」
 三位爵、ということは名門の地方貴族。けっこうな身分のご令嬢だ。
 ロザモンドはトライスとの婚儀のために、半年前からこの暁城に行儀見習いにやってきているのだそうだ。
 女性にしては少しばかり背の高い、だがすっきりと細い肩と、白い手が印象の佳人のようだった。
 ようだった、というのは、彼女の顔自体は薄い黒のベールに隠されていて、はっきりとは見えないからだ。
(えーと、美人・・・なんかな?)
 と、達樹もぼんやりと首をかしげる。
 シルエットだけならば、スタイルはいいようだ。
(でも・・・)
 目を凝らせばわずかに顔立ちが透けて見えるが、すっきりとした鼻梁が感じられるくらいで瞳の色も分からない。頬を覆う豊かなプラチナの髪が胸元に波打ってそのままこぼれているのも、髪を結う習慣があるという貴族の令嬢には珍しいかもしれない。
 またドレスも喉元から手首、足首まですっぽりと覆い隠すようなデザインの黒い衣装で、まるで喪にでも服しているかのような暗い意匠である。口元さえ、黒い絹の扇でしっかりと隠し陰気なことこの上ない。
 これから華燭の典をあげる主役の花嫁とは思えない出で立ちは、だいいち、王位継承者であるリヒタイト王子という高貴な客人を出迎えるには無礼であり、まったく相応しくなかった。
 トライスの表情がみるみる不機嫌に歪むのがわかった。
「なぜ、このような時にもそんな格好を・・・姫、こちらが我が親友でいらっしゃるリヒタイト・デュード・リアミリアス・リサーク殿下とモーランド二位爵どのの御次男、ヒューズ・サイデュー・モーランドどのだ。このたびの私たちの婚儀の祝福にわざわざ王都よりお越しくださったのだ。ご挨拶なさい」
 さきほどまでにこやかにリヒトや達樹たちに話しかけていたのとはまったく違う、厳しく硬い口調でそうロザモンドに命じる。
 ロザモンドはちらりとリヒトたちにベールの内側から視線を向け小さく頭を垂れると、口元の扇はそのまま、側の侍女に顔を近づけなにか目配せした。
 その侍女はロザモンドの視線を受けて小さく頷く。そして目を伏せると、すっとリヒトたちにむけ居住まいを正し、ドレスの裾を持ち上げて最敬礼の挨拶をしてからロザモンドに代わって口を開いた。
「リヒタイト殿下、ヒューズ様、ならびにご一行の皆様方にはようこそお越しくださいました。婚儀の祝福ありがたく、心よりお礼申し上げます。婚礼式までの間はこちらでごゆるりとお過ごしくださいますよう、お願い申し上げます」
 なめらかに侍女が口上を述べるのを聞き終わると、ロザモンドはふたたび小さく頭を垂れてから、自分はさっさときびすを返してしまった。侍女もドレスの裾を持ち上げて敬礼して退去の挨拶をすませ、ロザモンドを追うようにその背に従い、そして二人とも応接間を出て行った。



(え・・・? 挨拶って、それだけ? って、あの人まったくしゃべってないじゃん! 侍女の子が代弁しただけじゃないの?)
 これってありなの?
 いいのだろうかと達樹が呆気に取られてトライスを見てみると、じつに素っ気ない無愛想なロザモンドの態度にトライスは天を仰ぎ、そしてちっと舌打ちをしていた。
(うぎゃあ! やっぱ怒ってる! そうだよね!? なんか違うよね!? うぎゃあ・・・なんか、美人だけどヤな感じのお姫さまだ!)
 これから妻になるという女性が、あんなとっつきにくそうな女性では舌打ちしたくなるのも頷ける。
 達樹も他人事ながら、ロザモンドの態度には少し腹が立ったのだ。
 こっちはわざわざ十日もかけて王都からお祝いに来ているのだから、普通は嘘でも面倒でも笑顔で出迎えるべきじゃないだろうか?
 なのに。あの素っ気なさはいかがなものか。
 貴族のお嬢さまっていうのには初めて会うが、みんなあんな感じなのだろうか? 人前で決して声を発しないなど、まるで平安時代の深窓の姫君のようだ。それともロザモンドの気位が異様に高いだけなのか。
(プライドの高い女の人ってのはサーラ様たちで見慣れているはずだったけど・・・)
 女神たちの我がままには散々泣かされてきた達樹であるが、決してこんな嫌な気分になることはなかった。
 奔放ではあったが、嫌味はなかったからだ。
(なんか、変態だけど、このトライスさんって人がちょっと可哀想かも・・・)
 そしてそう感じたのは達樹だけではなかったようだ。
「・・・おまえもまた、とんでもない姫を押し付けられたな」
 彼女が出て行った先の扉を無言のまま見ていたリヒトも、思わずそう同情の声を親友にかけていた。
 トライスは眉宇を寄せて大仰に肩をすくめた。
「陛下のお声掛かりでなかったら心底遠慮したいところだよ。あれでは縁談の来手がないはずだ。歳ももう二十六だという」
「おまえより三つも年上か」
 この世界では身分の高い女性は生まれたときに婚約者が決まり、十七、八で嫁ぐのが普通らしい。ロザモンドは再婚でもないらしいから、リヒトは率直に驚いた。
 ヒューズも彼女の年齢を聞いて首をひねっていた。
「不思議だねえ。イリエ三位爵の息女ともあろう姫が、なぜ今まで結婚しなかったんだろうか。それに私はイリエ卿のご長男と顔見知りだけど、彼から妹がいるだなんて一度も聞いたことがなかったよ。どうして?」
「私が知るものか。いや、殿下もヒューズも見ただろう。墓場から抜け出したようなあんなおかしな女ならば、誰だって自分の身内とは公言したくはないだろうさ。縁談だって、あの性格ではとても他所には出せやしまい。私もどうやら嫌われているようだしな。ああやって、私と話すときでさえ侍女を通すのだ。ハイかイイエか、ただの一言を答えるときでさえもだ! よっぽど私とは口も利きたくないのだろうね。妻になると言うのに私は彼女の声を一度も聞いたことがない。それどころか顔だってまともに見たことがないのだ。ああ、つくづく嫌な結婚だよ。君たちはいいね、いつまでも自由で」
 私もずっと自由でいたかったよ。
 よほど憤懣やる方ないのだろう。トライスの語調はだんだんと荒くなり、最後はとうとう愚痴がこぼれてリヒトとヒューズに苦笑されていた。
「たしかに、ニコリともしなかったな。しかしベールの下の素顔はけっこうな美人なのじゃないか?」
「そうそう。君の食指の条件はまず顔だったじゃない。なら問題ないんじゃないの?」
「美人というのは中身がともなって初めて美人というのだ!」
 なだめようとする二人に、だがトライスは憮然と抗議した。
「おおかた向こうだって無理やりこっちに連れて来られたのが気に食わないんだろうさ。この縁談は陛下のお声掛かりだ。ならばこの国の誰にも断れやしない。―――あんな喪服みたいなドレスを着て。私との結婚がまるで葬儀だと言いたいのか! 普段から館の奥の一室に閉じこもって、こちらが用事を呼ぶまで生きているのか死んでいるのかも判らない陰気な女だ!」
「おまえだって、いつまでもふらふら遊んでいるから、いい加減身を固めるようお父上に仕向けられた口じゃないか。息子をまともな貴族にするために嫁のあてを陛下に懇願したのはジュノス二位爵のほうだろう」
「それはそうだが。だがよりによってなにもあんな女を押し付けられるとは。私という男はなんて不幸なんだろう」
 王都にまで届くほどの自分の浮気性は棚に上げても、どうやらトライスは納得がいかないらしい。
「なるほど。それで半年もまえに婚儀の日取りが決まっていると言うのにいまだにご婦人方との遊びを止めないのだな」
「止められるものか。どうせこの調子じゃ結婚といっても形ばかりさ。まあ初夜さえ済ませばあとはお互い好きに過ごすだけだ」
 あの女のことだ、その初夜にもベールをかぶったままかもしれんな。
 憎々しげに呟いて、トライスは自嘲してみせた。








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