第2章 16 「」が異世界語・『』が日本語 王都からカバスナ領まで順調にやってきて、明日明後日にもさっそくトライスたちの婚礼の儀があるのかと思っていたら、結婚式はまだ十日も先のことらしい。 しかも式自体一日で終わるものではなく、その後の披露目の宴だ祝福の舞踏会だなんだで結局これから半月以上はこの館に逗留することになるのだそうだ。 そのあとまた帰る旅程を考えれば、王都に戻れるのはひと月先だと考えていなければならないようだ。 (い、一ヶ月・・・?) 達樹は呆然と、胸の中で呟いた。 一ヶ月、ここで結婚式のバカ騒ぎにつき合わされなければならないのだ。とんだ無駄足じゃないだろうか? そんなんダメだって! (俺には、やらなきゃなんないことがあるってのに!) 神子としての使命をまっとうするために、国王の側近たちに近づくための算段を仕組まなければならないのだ。 なのになんで、王都から十日も離れたこんな場所で他人の結婚など、のん気に祝ってなきゃいけないんだ! そんな場合じゃないんだって! 言っとくけど、俺、自分の立場を忘れてないよ!? (だって鬼ババが・・・あ、いや、女神様が、怖いんだもん!) 「ぼくちゃん、なにを唸ってるんだ?」 うおー!! と達樹があてがわれた客室のソファに腰かけて頭を掻き毟っていると、旅装を解いたリヒトがコーノとともに続き部屋から出てきた。 漆黒に近い深緑の上着をはおり、髪も無造作にうなじあたりで束ねられている。王都の自宅でいつもリヒトがしている格好だ。手首や耳にしていた宝飾品も、唯一左手にはめた黒曜石の王家の指輪以外は取り払われてしまっている。 直系王族にあって近衛騎士団に入団するなど、派手な身分に似合わず意外にも自分の外見にはこだわらない性質らしく、リヒトはあまりジャラジャラとおのれを飾り立てることを好まないようだった。小さなピアスさえも邪魔だと思っているふしさえある。 (自分はあっさりした格好ばっかしてるくせに、そのくせ俺の衣装はなんかこー、めちゃくちゃこだわってんのばっか寄越すんだよな・・・) ミヤが用意してくる達樹の衣装は、白や淡いブルーを基調にしたデザインが多いのだが、その生地自体に地紋や刺繍が丁寧に施されており、素人目にも最高級素材であることがわかる。いったいいくらくらいするのか見当もつかないが、それらの衣装を拒むことはリヒトの厳命によって許されず、それならと、サーラ様が勝手につけた宝石で支払ってもらおうとしたのだが、受け取ってもらえないどころかさらに違う宝石を贈られた。 (いま付けさせられてる真珠のピアスとか、ルビーの嵌った銀のチョーカーとか・・・その他もろもろ、あとで生活費とかとまとめて一括請求されたらどうしよう・・・) 自慢じゃないけど金ならないよ! だって無一文でこの世界に放り込まれたんだもん! びた一文支払えないよ!! まあ、いよいよとなったらサーラ様がなんとか―――。 (してくれるわけないよね!) と、達樹は深く溜め息をついた。 リヒトのために用意された客室だが、主寝室のほかに続き部屋が三つもあるこの豪華な部屋には従騎士であるコーノと侍従である達樹ももちろん同室となっていた。 リヒトはコーノにワインを持ってくるよう指示してから、自分はどっかりと達樹の横に腰かけ、その顔を覗き込んだ。 「まあ、そんな悩ましい顔も似合うが」 (うぎゃあ! な、悩ましいとか言うな!) 鳥肌が立つだろうがっ!! キッとリヒトを睨みあげるが、案の定まったくもって効果なし。リヒトは涼しい顔で「それとも疲れたか?」と達樹の頬を大きな手のひらで撫でつけた。 や・め・れ!! (うぎゃああ! またもや過剰スキンシップ!!) いちいち引っ付くなって! 「ち、違います。トライス様たちの結婚式がまだ十日も先だとお伺いして、驚いているのです」 「なんだ、そんなことか。出発前にミヤが説明していたと思ったが・・・聞いていなかったか?」 (うっそ、聞いてねえし!!) いや、もしかしたらミヤさんがなんか言ってたよーな? 言ってなかったよーな? 出発前はとにかく城に行けるということで浮かれていて、なにも耳に入っていなかった達樹である。 で、結局は城違いだったってわけだけど・・・。 (えーと、聞いてたかもしれないっすね、はい) ごめんなさい、ミヤさん! 「し、しかし。そんなに先だなんて・・・」 「なに、十日なんてあっと言う間だ。のんびり温泉にでも入って、あとは宴のために楽器のひとつも練習していればいい」 (ふーん、なるほど。温泉と楽器ですか) はあそうですか。と頷こうとして、達樹はぴたりと固まった。 (え、楽器!?) なになになに!? それってアレですか!? 披露宴での余興的なアレですか!? そんなの必要なんですか!? この世界でもやっぱ結婚式には余興あり! ですか!? 中学で習ったアルトリコーダーで『コンドルは飛んでいく』なら今でも吹けるんだよ、俺! 「神官になろうという者ならば、竪琴くらい弾けるだろう」 (そうそう、竪琴くらい・・・って、えええ!!?) またしてもこの世界の常識を思い知った達樹だった。 (え、そうなの!? 神官って、竪琴とか必須科目なの!? え、なんで必要なの!?) 神官見習いというのはあくまでも仮の姿であるし、達樹はこの世界を救う神子ではあるが、その実態は現代日本の一般男子高校生である。 (ふつーに弾けるわけないし!!) しかし神官見習いと名乗っているからには、「そんなもの見たことも触ったこともございませんよ!」とは、さすがに言えない。 (えーと、えーと、い、言い訳をっ) 「わっ・・・私は、楽器は、じつに苦手で・・・皆様の前で演奏するなど、無理です・・・」 「そうなのか?」 「は、はい・・・」 「ぼくちゃんが弾くところを見てみたかったんだが」 この美しい少年が、小さな竪琴を胸に抱えて弦を爪弾くさまはそれはそれは可憐だろうとリヒトは期待したのだ。 きっと、この世のものとは思えぬ透き通る音色が奏でられるだろうと。 「と、とんでもない! お耳汚しですから、お祝いの席でなど、とても・・・」 「そうか。残念だが、無理強いはすまい。まあ俺も上手くはない。騎士になったばかりの頃、リュートを練習してみたがどうも不向きだったようだ」 「そうですね。殿下のリュートはまるで季節はずれの雷のようだとルクスさんから聞きました」 ワインのデキャンタを乗せた盆を大理石の円卓に置きながら、コーノが噴出すように会話に入ってきた。 ピクリと、リヒトの眉間にしわが寄る。 「そこまでひどくはないが?」 コーノはなおも可笑しそうにしながら、デキャンタから銀杯にワインを注ぎ、リヒトにその杯を手渡した。 「くれぐれも殿下に人前でリュートを弾かさないよう、殿下の従騎士を引き継ぐときにルクスさんから聞いたのですが?」 「ルクスめ、自分に楽才がまったくないからと、俺まで落としいれようとはな」 「おや、そうだったんですか」 「俺のリュートが雷なら、あいつの音は木こりののこぎりだ」 「ぷっ。そんなに?」 「だからルクスには一生リュートを触るなと言いつけてある」 嘘か真か、本人のいないところでルクスを遣り込め、リヒトはにやりと口元を笑ませた。 (き、木こりののこぎりって・・・ルクスさん、そんなに音楽センスないのか・・・。そうなんだ・・・) 自分の身の丈ほどもありそうな長大な剣を軽々と振るう小柄な怪力の姿を思い出す。 たしかにルクスに優雅な楽器など、どうも似合わない。 なんたって、イメージが河川敷のやんちゃ坊主だし。 (どっちかっていうと口笛だよね!) と、たいがい失礼な感想に、達樹は妙に納得してしまった。 機嫌が回復したリヒトは、ソファから立ち上がると達樹に手を伸ばしてきた。 (ん? なんだこの手は) いきなりのことで意味が分からず、達樹はきょとんと小首をかしげる。 艶やかな黒髪がふんわりと揺れ、その姿があまりにも愛らしくてリヒトは思わずまた口元を笑ませた。 「楽器はともかく、ワルツは外せないだろうな。祝宴のあとの夜通しの舞踏会は全員参加だ」 (げっ! ワ、ワルツって・・・あの、男女のペアがひっついてくるくる回る、あのワルツですか!?) 「久しぶりだから、少し練習しておこう」 (うぎゃあ! 練習って、俺と!?) 練習もなにも、達樹はワルツのワの字も知らない。練習になるはずがない。 「あ、あの! お、王子様・・・わ、私はダンスなど一度もしたことがなくて・・・踊り方を知らないのですが」 「本当か?」 「本当ですか?」 リヒトは心底といったふうに驚いた。リヒトだけでなくコーノも瞠目している。 二人にしてみれば、いかにも上流階級の子息な風情の達樹が、社交界の基本であるダンスを知らないということに驚いているのだが、そんなことは達樹は知る由もない。 (ええ!? ワルツ知らないって、そんなに驚くもんなの?) 「ほ、本当です」 この世界じゃみんな踊れるっての?? (なんつーとこだ。あのなー、日本じゃ一般男子高校生でワルツなんざ知ってるほうが普通じゃねえんだよ!) セレブか社交ダンス部ならいざ知らず、達樹は庶民でサッカー部である。 知っているのは盆踊りかマイムマイムくらいだ。もしくはラジオ体操だ。 リヒトは達樹の手を取り、立ち上がらせた。 「知らないなら教えてやろう。―――まずはこう言う。よろしければ、私と踊っていただけますか?」 優雅に腰を折ってお辞儀するリヒトの所作があまりにも貴公子然としていて、その輝かしい王子様っぷりに達樹は目眩がしそうだった。
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