第2章 17 「」が異世界語・『』が日本語 その二刻後、達樹はひとり暁城の敷地内にある浴場に来ていた。 (うぎゃああ!あんの変態セクハラ王子があっ!!) どうやら鉄分を含んでいるらしい、朱に染まった岩場に腰かけ、湯気の立つお湯をばしゃばしゃと蹴り上げる。 跳ね上がった丸い雫たちが、すでに日が沈んで紺色になっている露天にきらめき、流星が落ちてくるかのように美しかった。 先ほどリヒトにワルツを指導してもらったのはいいが、手に手を取り合ったやけに密着した姿勢は居心地が悪いし、それでもこの城に滞在するからには覚えておかなければならないだろうと我慢して素直にステップを教わって、それがなんとか形になってきたと思ったら、じつは習っていたのは女性パートの踊りだった。 苦笑とともにコーノがそれを教えてくれなかったら、リヒトはそのまま達樹を騙していたに違いなかった。 思わずムッとなって、眉宇を寄せ、愛らしい頬を膨らませて「ち、ちゃんと男性のステップを教えてください」と抗議した達樹に、しかしリヒトはしれっと答えたのだ。その頬に唇を寄せながら。 「必要ないだろう? ボクちゃんは俺以外の者とは踊らないのだから」 (うぎゃああ!! なーにーがーだー!!) ばしゃばしゃと、またもお湯の表面をいきおい蹴り上げる。 (どうしてサーラ様たちは、あんな変態王子を野放しにしてんだ! き、危険じゃないか!) その女神が祝福を与えたせいで危険な目に遭っているということは、すっかり失念してしまっている達樹であった。 露天の岩に腰かけていた達樹だったが、夜風が肩に触れると昼間に比べやはりだいぶ気温が涼しいようだった。 ふたたびちゃぷんと透明な湯のなかに身を沈める。そんなに熱い湯でないために、いつまででも入っていられそうだ。日本の温泉と違ってカルキ臭さがまったくないし、わずかにぬめりがある泉質は達樹の好むものである。 (じじむさい、と言われようがどうしようが・・・温泉ってやっぱりいいよね!) 湯をすくって肩にかけると、ふんわりと柔らかいお湯に身も心も溶かされそうで、にわかに気分が上昇する。 ここは、暁城の敷地内にある三つの浴場のうちのひとつである。 トライスの館には屋内と、館から少し離れた敷地内に二つの露天温泉があるらしかった。 一族と、向かえた客人のための露天風呂はそれほど大きなものではないが、手入れはじゅうぶんに行き届いていて、焚かれたかがり火と、岩の湯船を取り囲んで風になびく薄い天幕が美しく、また近くの雑木林からは絶えず虫の声や鳥の鳴き声が聞こえてきてなんとも風情があって心地よい。 リヒトによる屈辱のダンスレッスンを受けたあと、すぐに一行を歓迎する晩餐会になったのだが、その豪勢な夕食会が終わったあと、達樹はまたリヒトと同じ部屋に戻るのが嫌で、館の家令にお願いしてリヒトには内緒で一人この温泉に連れてきてもらったのだ。 あとで向かえを寄越すという家令の申し出をかたくなに断り、暁城までゆっくり歩いても半刻もかからないだろう帰路は一人で戻るむねを伝え、しぶる家令にはそのまま戻ってもらった。 そのほうが、勝手にゆっくりお湯に浸かっていられるからだ。 家令に聞いた話では、トライスの結婚式が終わるまで城の温泉は招待客のみしか入れないようになっているらしいが、いつもはこの辺りに別荘を構える貴族たちはお互いの屋敷を行き来して、それぞれの温泉を楽しんでいるのだそうだ。 (なんかそれって、あれだ。温泉ラリーってやつだ! 湯手形とかあんのかな? って、んなわけないか!) あははーと、温泉にとろけさせられた思考がそんなのん気なことを考えていると、人気のないはずの背後から物音が聞こえた。 「!」 振り返り、そこにいた気配の主を見止め、達樹は思わず息を飲んだ。 「お、王子様・・・」 (うっぎゃあ! なんでてめーがここにいる!) 家令には、達樹がここに来ていることは口止めしたはずだった。 リヒトから離れるために、ここまでやってきたというのに。 「主人に内緒で勝手な行動をとるとは、悪い侍従だな」 いつの間に入ってきたのか、白い天幕の内側に、腕を組んで柱にもたれて立つリヒトが、にやりと達樹を見下ろしていた。 いや、別に。 と達樹はうつむいておのれを納得させようとする。 (いや、別に、男同士だし。別にいいんだけど・・・) 日本にいるときだって、部活の合宿では部員同士、大浴場でふざけあったりもしたものだ。 だから、男同士で風呂に入るのには抵抗はない。裸の付き合いなど、なんでもないことだ。 第一ここは温泉だし。 (なんだけど・・・そうなんだけど・・・) だが、いったい。 (なんでどうしてこの姿勢!?) 背中にあたるリヒトの胸板の生肌に、達樹は泣きそうになった。 (おっ、男同士でなんで、なんでこんなこっ恥ずかしいかっこで風呂に入んなきゃならないんだ!?) 達樹はいま、リヒトに背後から抱き込まれるような格好で一緒に湯に浸かっていた。 時折リヒトが達樹の肩や首筋に湯をかけてくれる仕草は、恋人か子供にでもするような甘やかさだ。 やけに楽しげなリヒトとは対照的に、達樹の顔は限界に近い半泣きである。 (や、やーめーろー!!!) いたたまれなくなって身じろぎするが、腹部で交差されたリヒトの太い腕はがっちりと達樹の体を押さえ込んでいてどうしようもない。 「あ、あの・・・王子様・・・あの、どうかこの腕をお放しくださいませんか・・・?」 (俺は、俺はただ普通に風呂に入りたいんだ!!) 首をめぐらせて背後のリヒトを伺い見上げる。 またしてものセクハラ行為に、どうせにやにや笑っているのだろうと思っていたリヒトは、だがしかし、予想に反して真剣な眼差しで達樹を見下ろしていた。 びくりと、達樹の肩が揺れる。 (え? 怒ってる・・・ってわけじゃないよね? え? なんか顔が怖いんですけど) ひとりで温泉に来ていたのがいけなかったのか。しかしそれというのも、そもそもリヒトの意地悪が原因である。 リヒトの顔を間近に見ていられなくて、達樹は慌てて前を向いてうつむいた。 その細く白いうなじはけっこうな時間湯に浸かっていたために、ほんのりと薄紅色に染まっている。 柔らかな黒髪が濡れて張りつき、そこから雫が一筋、朱色のかがり火に照らされて輝きながらきらりと流れ落ちた。 「・・・タツキ」 低い、だが優しい静かな声だった。 ふたたび達樹の肩がびくりと揺れる。 (な、名前・・・) いつもリヒトは達樹のことを「ボクちゃん」とからかって呼ぶ。 リヒトの手のひらが、背後からそっと達樹の胸を撫で上げた。 (うぎゃあああ!! な、ななな、なにすんの!!??) 「お、王子、さま・・・いったい・・・」 どこ触ってんの!! リヒトの手は胸を撫で上げ、そのまま首元を這い上がり、やがて達樹の顎を捉える。 「―――おまえは、俺の小鹿だ・・・勝手に離れるな」 「ん!」 それ以上、なにも言う間も与えられず、達樹は背後から口付けられた。 濃厚な口付けに、達樹の意識ははるか遠くに飛んでいきそうになる。 「んっ、あ・・!」 食べられていると感じるほど強く唇を噛まれ、上顎を舐められ、舌を絡め取られ、ざらりと深く差し込まれたり押さえつけられたり、その乱暴とも思える舌技は達樹の想像にないスキルで頭の中は真っ白になる。 (なにこれなにこれなにこれ・・・!!) こ、こいつ・・・まだこんな技を隠し持ってたんかよ! すげーやさすがは王子様!! いや、じゃなくって!! 「あっ、やっ・・・」 (や、やばいって、これ!! 勃つから!!) いやもう半分勃ってるって!! 気持ちいいけど! でもダメだって! やばいって! 力が抜けて抵抗できないでいる達樹の下肢に、リヒトのもう一方の手が触れているのが分かる。 (うぎゃあああ!! そ、その先には俺の息子さんしかおりませんけどっ!?) 「や、やめて・・・」 リヒトの唇は達樹のそれから離れ、耳朶を噛み、うなじを何度も何度も吸い上げる。 「あっ・・・!」 新たな刺激に達樹の口から声がもれる。 「やっ、あっ・・・!」 「可愛いな、タツキ・・・」 リヒトは達樹の制止の声などまったく聞かず、彼自身も熱い吐息を達樹の耳に吐きかけながら、また唇を奪い始めた。 下肢を撫でていた手がやがて達樹自身に触れる。 「んんっ・・・!!」 指がじかに絡む感触が生々しく、背筋に電流が走って仰け反った。その弓のようにしなった白い背にもリヒトは唇を這わせ、きつく吸った。 「やっ・・・ダメ・・・です! お、王子・・・さ・・・!!」 男の手が自分のそれに触れたことなど一度もない。 ましてやこんな強引な愛撫など。 「あっ・・・ん!」 ダメだって! マジやばいって俺!! だって、めちゃくちゃ気持ちがいい―――。 (い、イキそ・・・) 「―――殿下、申し訳ありません。ご報告が」 その瞬間、絶妙な間合いで天幕の向こうからコーノの声がかかり、リヒトの不埒な行為はぴたりと止んだ。 「・・・なんだ?」 楽しみを邪魔され、あからさまに不機嫌な様子で返事を返すリヒトの胸のまえで、達樹は思わずへたり込んだ。 (た、助かった・・・?) あのままだと、なんだか本当に危険な雰囲気だった。リヒトの手で達かされて、挙句もっと怖ろしい目に遭うかもしれなかった。 まさしくピンチ。 貞操の危機。 (うぎゃあああ!!!) なっ、なんで俺、こんな目に・・・! 旅先でのグルメあり温泉ありポロリありなんて、アレなシチュエーションすぎるでしょ!! ここまでそろってあと足りないものと言えばアレしかない。 「殺人事件のようです」 (そうそう殺人事件! これでバッチリ火サスの世界・・・って、ええ!!??) リヒトの声が硬く問い返す。 「なんだと・・・?」 「館の台所の下働きの娘が死んでいるのが発見されました。死体の側には、娘が食べたと思われるかじりかけのリンゴが落ちていまして・・・」 「毒殺か?」 「そのようかと。殿下、至急館にお戻りください」 「分かった。ヒューズとルクスを部屋に呼んでおけ」 「御意」 二人のやりとりを、達樹は呆然と聞いていた。 な、な、なんで!? 本当に!? マジで湯煙旅情サスペンス!? 毒殺ミステリー!? リンゴ殺人事件!? えーと、なんかそんな懐メロがあったよーな気が・・・。 (いやいやいやいや、ばっか、俺、いまそんなん考えてる場合じゃないって!!) なんでこんな怖いことが起こっちゃったりすんの!? マジでなんなのこれ!? いやいやいやいや。 いや、なにはともあれ。 あああ、そーだ、あれだ、あれ! ふ、船越英○郎を呼んでくれ!!!
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