第2章 19



   「」が異世界語・『』が日本語



 昨日もまた、第二塔の最上階の小部屋の青年についてはぐらかされてしまったと、シラーは弟であるヒースイットに報告した。
「やはり父上はいい加減な答えしかくださらない。しかも茸の幻覚だろうなど・・・私を揶揄なさって楽しんでおられた」
「茸の幻覚? はは、それはまた、父上らしい冗談を言われたものですね」
「ヒース! 笑い事ではないぞ。寸分も真面目に取り合ってくださらぬ父上に私は腹を立てているのだから」
「まあ、兄上がご立腹なさるのも分かりますが・・・」
 それでも笑いがこみ上げてくるのだろう。憤慨しているシラーを宥めつつも、ヒースは顔の筋肉がどうしても緩むのを押さえきれないようだった。くつくつと小刻みに肩が揺れている。
 そんな弟の様子をじろりと睨みつけ、シラーはさっさと足早に芝生を踏みつけた。



 ヒースとは、さきほど城内で偶然会い、先日からあの青年についての真実を確認するべく王の執務室に何度も足を運んでみていることを伝えたところだった。
 業を煮やしていよいよしつこく食い下がったところ、あえなくからかわれて結局それきり退室を促されてしまったが―――。
 ピチチチ・・・と近くの枝から小鳥たちの鳴く声が聞こえる。
 頭上に広がる空は青く、ここ数日変わらぬ好天が続いていて、上着の裾を揺らす風も爽やかである。
 第二塔の通用門からリーラ湖の湖岸へ続くこの道沿いには幾種もの木々が植えられていて、シラーは子供の頃、手作りの巣箱で小鳥の餌付けをしたことがあった。二十年も前の話だ。歴代の王の子供たちが作った巣箱がこの道沿いには点々と残っていて、だから自然豊かなカリフ城の広大な敷地内でもこの辺りはとくに小鳥が多い。
「待ってください、兄上」
 ずんずんと先を進むシラーに苦笑してその背を追いかける。
 話しながら何気なく歩いていたが、無意識にリーラ湖へと足が向いてしまうほど熱心にこの道を通い、そして塔の先を見上げることが習慣となっていることを、この兄はちゃんと自覚しているのだろうか。
 その執着が、いったいなんのためなのか、考えているのだろうか。
「・・・そういえば」
 ふいに笑みを消し、ヒースは顎に手をかけて神妙な顔をした。
「昨夜、あの塔の隠し部屋に父上の侍医殿が呼ばれていましたね」
 ご存知でしたか? と問うヒースに、シラーは首を振った。
「いや、知らない。ロイド殿が、なぜ?」
「おおかた、父上が乱暴に扱ったのでしょうが・・・」
「あの青年に暴力を!?」
 シラーは驚き、思わず声を高くした。武力を尊ぶが、それを暴力にするような父ではないはずだ。
「怪我を負わせたのか?」
「さて・・・まあ、私の想像通りなのならば、怪我、なのでしょうね」
「どういうことだ」
 言っている意味が分からない。
 この弟はいったい、なにをどこまで掴んでいるのか。
 しかしヒースは、「詳しくは私も知りませんから」と肩をすくめた。
 曖昧な答えしか寄越さないヒースがもどかしく、シラーは唇を噛んだ。
「申し訳ありません。父上のなさることは、私だって本当に分からないのですよ」
「だが、おまえは私よりも知っていることが多い」
「好奇心の範囲内ですよ。私の情報は真贋ない交ぜですから、関係ない知識も多い。いや、そういったものがほとんどでしょう」



 あの部屋の由縁です。
 そう切り出して、ヒースは隠し部屋にまつわる話を始めた。
「そもそも、あの部屋は表向きには罪をおかした王族を隠すためだとされています。隠された部屋の存在を知る者が極端に少ないのは、そのためだと」
 しかし、それは本当に表向きの話で、真実は王の秘密を閉じ込めるための部屋なのだという。
「王の、秘密・・・?」
「ええ」
 決して公言できぬ秘密の小部屋。
 たとえば、さらってきた貴族の娘であったり、年端もいかぬ寵童であったり、過去、そういった秘密の愛人をそこに囲い、歴代の王たちはあの部屋を鳥かごのように使用してきたという。
 一番近くは先々代の王、つまり、シラーたちの曽祖父にあたるシュタインベルク王のとき、彼は同盟国の美貌の王妃をかどわかし、晩年王が病に倒れるまであの部屋に閉じ込めていたとされる。
 その国は小国であったため、強大なるユーフィールの国王には逆らえなかったのだろう。
 シュタインベルクは賢王として今に伝えられている。その王ですら、余人には語れぬ薄暗い部分を持っていたという事実に、シラーの表情はあからさまにショックを受けているようだった。
「そんな・・・まさか・・・それは真実の話なのか・・・?」
「あの部屋がいかに秘されようと、王が出入りする以上、公にはされずとも必ず文書が残るのです」
 王自身と、大神官と、大学の学長の許可がなければ閲覧できない特別な書架が王宮の図書館の最奥にあり、その極秘文書はそこに厳重に保管されている。
 ヒースはさまざまな裏工作を駆使し、その書架に入る許可を得た。
「誉められない技を使って知った秘密ですから、私が兄上に話したこのことは、どうぞ内密に」
(まあ口止めしたところでどうせ、兄上が王位を継いだときには知ることのできる事実なんだけれど)
 王家のさまざまな秘密についてはすべて、大神官と学長から口伝によって王に伝えられるのだという。
 その秘密のなかにはもちろん、極秘文書の書架も、あの小部屋の存在もあるだろう。
 しかし。
 いつかは知る秘密であろうが、いま、知っていてはまずい。
 表向きは、たとえ王太子であろうが秘されていることなのだから。
 王族の闇は、王自身と、ごくごく一部の執政に携わる者だけが知っていればよい。そしてその闇は決して外部にもれることなく、彼らの墓のなかに持ち込まれるのだ。



 シラーは、ヒースに聞かされた真実に衝撃を受けていた。
(あの部屋は・・・)
 あの、金の錠前に閉ざされた階段の先にある、あの小部屋は。
 王の怒りを買った罪人が閉じ込められているのではなかったか。
「で、では・・・あの青年は父上の愛人だと・・・?」
 王の罰を受けているのではなかったのか。
「それは・・・どうでしょうか」
 こればかりは、ヒースといえど確たる証拠を掴んでいない。
 シラーの疑問に、ヒースは答えをためらった。
 罪人、というのも違うような気がするが、しかしかといって愛人であるというのも違う気がする。
 王が足しげく通っている気配がないのだ。
(あの青年が現れたのは多分、王の鹿狩りの祭事の日)
 あの日、王宮の神殿が慌しかったのが気にかかる。
 大神官の焦燥は、王が刎ねた黄金の鹿の首だけが原因ではないような・・・。
 いくつも思考を巡らせて、ヒースはにんまりと小さく嗤った。
(秘されると、暴きたくなるんだよねえ)
 ヒースイットは己の腹黒さも天邪鬼も不埒も不敬もじゅうぶん心得ている。
 だからこそ、王には向かぬと見切りをつけ、さっさと継承権を放り投げたのだ。
 しかし王子の身分まで捨てず、臣下に下らぬのは、この立場にいれば王宮の負の部分に触れていられるから。
 王子でいるほうが都合がいい場合もある。
 大学に籍を置きながらも、学寮に入らず王城に住んでいるのもそのためだ。
(どうやら楽しくなってきたんじゃないか?)
 当分、退屈の虫は飼わずにすみそうだ。
「兄上、今日のところは、私はこれで」
 目のまえで立ちすくんだまま動けないでいるシラーに向かっておざなりに挨拶すると、ヒースはさっさときびすを返した。



 ヒースが立ち去ったあとも、シラーはしばらくその場から動けないでいた。
(あの青年が、父上に囲われている?)
 己も品行方正な聖人君子を気取るつもりは毛頭ない。秘密の愛人のひとりやふたり・・・別段驚くべきことではないはずだ。
 だが。
 なぜ、あの青年に関しては、こんなにも衝撃を受けるのだろうか。
 言葉を失うほどに驚く自分に、さらに衝撃を受ける。
(私は、いったいどうしたというのだ)
 リーラ湖に向かって歩き出そうとするが、その足取りがやけにふらついている。
 ようやく湖岸に立つと、カリフ城の白亜の城壁が湖面に映りさざ波立つ水面に揺れている。
(吐きそうだ・・・)
 胸の奥にとぐろを巻く薄暗いなにかが喉を圧迫し、シラーを苦しめる。
 いまは、ここから塔を見上げることができそうもない。
 腰帯の巾着には望遠鏡が入っているというのに。
 いつものように小船を出し。
 この望遠鏡であの窓を見上げれば、きっとあの青年がいる。
 窓辺に寄り添う姿を確認することができる。
 しかし―――。
 シラーは思わず、その青年の背後に覆いかぶさるように立つ、カインベルク王の長躯を想像した。


 こつんと、ガラスに額をつけた彼のその痩せた顎を、背後から父の太い指が撫で、持ち上げる。


 流れる雲を見上げるはずの青年の目は、


 ゆっくりと父の顔を見上げ、



 そして口付けを―――。





「!!!」
 愕然と、シラーは己の想像を打ち消した。
(なんということを・・・!)
 自分はいったい、なんということを考えるのだ。
 あの父と、青年が・・・?
 そうだと決まったわけではない。
 真実を確認したわけではないのだから。
 だいいち、噂では彼は王の怒りを買った罪人である。
 人の噂というものは、得てして憶測よりも確かなものだ。
(だから、きっと、違う―――)



 顔を上げられぬまま湖面に立ちすくむシラーゴートを呼ぶ声が聞こえた。
 頑是無い、明るく甲高いこの声は彼の息子であるユーリアス王子のものだ。
 走りやってこようとする幼い王子を笑いながら諌めるエカーテ王太子妃の声も聞こえる。キカ王女の笑い声も。


 シラーは妻を愛している。
 彼女は母である王妃にもよく仕えてくれている。
 子供たちも素直で無邪気だ。
 臣下にも民にも慕われ、王家の鑑だと言われるシラーゴートの家庭。
 ユーフィール王国の未来そのもの。
 穏やかで、明るくて、なんと美しい―――。



(私は、いったい・・・)
 こんなにも空は澄んで青いというのに。
 軽やかな足取りで近づいてくる、王太子が愛すべき家族の、妻の顔も子供たちの顔も、シラーはなぜかまっすぐに見られないでいた。








 back top next 









inserted by FC2 system