第2章 20 「」が異世界語・『』が日本語 (ななな、なんで俺・・・こんな目に!) 昨夜のことを思い出し、達樹は思わず頭を抱えた。 毒殺だといういきなりの不穏な事件勃発に、達樹の思考回路はパニック寸前だった。 (この世界ってどうなってんの!? 怖いよっ!!) 神子などという身分でこの世界に無理やりやって来さされてはいるが、本来の達樹は日本の東京でのほほんと平和に生きてきた、ただの一般男子高校生なのである。そんな怖ろしい事件はテレビや新聞のなかだけの遠い出来事であり、まさかこんな身近で、実際にそれが起こるなどと、いったい誰が想像するだろうか? (いや、誰も想像しねーって、普通!!) 王子のセクハラに殺人事件にと、昨日から忙しなく散々な目に遭っている達樹は心のなかで雄叫びを上げた。 昨夜、あの露天温泉からコーノに遅れて達樹とリヒトが館に戻ってくると、部屋にはすでにルクスとヒューズがリヒトを待ち構えていた。 寄ると触るとかしましいはずの二人組みが神妙な顔つきになっていて、達樹はその重々しい空気に深緑の騎士団であるという二人の立場を思い出した。 この世界で騎士団というのは日本の警察機構にあたるものだ。事件、犯罪があったときに行動を起こすのは彼らの職務である。ゆえに、すでに何らかの情報を仕入れ、リヒトに報告するべくやってきたのだろう。主には王城警護の役目を持つ近衛騎士のリヒトとて騎士団の一員であるのには違いなく、二人に目配せをして小さく頷いた。 「毒殺だそうだな」 「外傷がありませんでしたので、そうのようかと」 問うリヒトに、ヒューズが簡潔に応じる。 「リンゴ自体には毒物らしき匂いは残っていませんでした。半分以上は食べていましたから、おそらくは無味無臭の毒物・・・一番、厄介ですね」 軽く肩をすくめるヒューズのその態度を、ルクスが少しばかり金色の瞳を眇めて横目に見、そして続けた。 「最初に発見したのは料理長と家令です。明日の朝食の打ち合わせで地下の貯蔵庫を訪れたときに見つけたらしく、家令がすぐにトライス様に報告して俺たちに報せに来たんです。その場で二人には緘口を命じましたから、この件について知っている者は、だから、トライス様、料理長、家令のほかは俺たちだけです」 娘の遺体はヒューズの従騎士であるサンダが家令とともに城外に運んでいるらしい。 トライスの結婚式が間近である。慶事のまえに大仰に騒ぎ立てぬよう、密かに埋葬するつもりのようだ。 城の外には家令の知り合いの医者がいて、まずはその者に娘の身体を確認してもらうらしいことをルクスが告げた。遺体の様子から毒の正体を調べるのだ。 「犯人の目星は? 館のなかで以前から不穏な空気がなかったのか。 トライスはなんと言っていた」 「あいにく、心当たりはなく皆目見当もつかぬと」 それどころか、それを調べるのがルクスたち騎士の仕事だろうと素っ気無く返されたらしい。 この館の主であるのにまったく無責任だ、頼りにならないとかなり怫然とした口調でルクスが答えるのに、リヒトはただ「そうか」とだけあっさり応えた。 本来はトライスが狙われたのかもしれない。だがそれを断言もできない。 結婚式が間近になり、その招待客が続々とやってきていて、この暁城に滞在している。いずれも国内で有力な、身分の高い者たちばかりだ。 そしてその筆頭に、第三王子であり第二王位継承者であるリヒタイトが挙げられる。 皆目、とトライスが答えたのは、とぼけたわけでもなんでもなく、本心からの言葉に違いなかった。 無論、ルクスもそれは分かっている。分かってはいるのだが、手がかりがまったくない現状で、その足がかりもない答えをにべもなくトライスに返されてムッとしたのだ。 「それよりも、殿下。そもそも、娘がなぜリンゴを持って地下の貯蔵庫にいたのかも不思議なんですよ」 ヒューズが穏やかに口を挟んだのに、リヒトよりもルクスが反応し、眉を寄せて隣に立つ長身の男を見やった。 「不思議だって?」 「うん、そう」 その貯蔵庫というのはパンの材料である小麦粉の袋が保存されあるだけの部屋であり、そんな場所に夜半、厨房の係でもない娘が立ち寄る用事などないはずであった。 「隠れてコソコソと食べなくてはならないほどここの料理長という男は厳しい性格でもないようだったし、だいいちリンゴなんてこの城の敷地にある果樹園には、今の時期いくらでも生っているでしょ?」 「ああ・・・そういえば」 「若い娘がわざわざひとりで地下室なんかに行かなくても、リンゴは食べられるんだよ」 台所には、リンゴなど山ほども置かれてあるのだそうだ。 「ってことは」 もし特定の人物を狙うならば、確実にその人が食べると分かっているものに毒を仕込むべきであり、誰が手に取るか分からないリンゴに毒を盛るなどするはずがない。 よって。考えられるのは、始めから、娘が狙われていた、ということ―――。 「つまり、娘を地下に呼び出して、毒入りのリンゴを与えた者がいるんだな」 「そうなるね」 ならばその人物こそが犯人なのだと、普段は飄然とした水色の瞳に、今は強い光を浮かべてヒューズは言い切った。 だーかーらー!! (毒とか地下室とか犯人とか、みんなの言ってることが全部怖いんだって!!!) と、昨夜のリヒトたちの会話を思い出して達樹は唸った。 まるっきりサスペンスドラマな展開に、達樹は昨日、リヒトの背後にかくれてほとんど耳をふさいでいたのだ。 これが本当にドラマならば余裕で傍観していられるが、そうではなく、現実に実際起こった問題である。 結婚式に来てのんびりまったりしていた空気が一変し、達樹の周りはどこか張り詰めたような重苦しい雰囲気が漂っていて、昨夜から続き緊張した室内にいるのが嫌で達樹は今朝一番に外に出た。外といっても、中庭を散策する程度である。 庭師の腕がいいのだろう、さまざまな種類の庭木は雑然と植えられているようで、しかし自然に安らぐような美しいバランスの景色を造っている。 足元には色とりどりの花が咲いて小路(こみち)を案内し、背の高い木の下には木陰で休めるようさりげなくベンチが置かれてあったりもする。形よく刈り込まれた丸い植木などもあり、よくもまあこんなにキレイな球体にできるものだなあと、達樹はいたく感心した。 しかしそれにしても、と達樹はあらためて考えさせられた。 このまま、自分はここにいるべきなのだろうか? (王子様にくっついてこんなことまで来ちゃったけど・・・) 本当ならば王都にいて、国王に近づけるよう、もっとなにか、いい策を練るべきなんじゃないだろうか? こんな怖ろしいサスペンス劇場に巻き込まれている場合ではないはずだ。 それに―――。 朝になって、冷静に落ち着いて昨夜のことを思い出す。 あの露天の温泉で。 達樹は、リヒトに、何をされた・・・? 風に揺れる薄い天幕に隠れ、淡く照らされた星明りの下で。 リヒトの太い両腕に背中から囲われて。 深く唇を奪われながらいたずらに下肢を弄ばれ。 敏感な場所に這わされた妖しい指先に。 とろりとぬめった湯のなかで。 ―――大きく息を乱したのではなかったか・・・? (うっ・・・うぎゃあああ!!! うぎゃああああ!!! 俺、俺って、なんっつー恥ずかしいことをっ!!!) 達する寸前の白くもやのかかったような感覚がよみがえり、達樹は心のなかで悲鳴をあげて思わずその場にしゃがみこんだ。 気持ちが良すぎて洩れた、自分のものとは思えない甘えるようなかすれた吐息は、途中割り入った静かな声の主に確実に聞かれたに違いなかった。 (コ、コーノさん! 聞いちゃったよね! ってか見られてるよね! 絶対!) うぎゃあうぎゃあうぎゃあ!!! 顔から火が出るほど恥ずかしいっていうのは、こういうことなんだ! 本当に火が出そう! リヒトの従騎士であるコーノとは、今朝はまだ顔を合わせていない。会ったところで、きっと向こうは何も言わないのだろうが・・・。 いや、何も言わないからこそ、余計に困る。 絶対、二人の仲を変なふうに誤解しているだろう。 (せ、せめて言い訳させてくれ!!) だが、言い訳するにもなんといって誤解を解くのか。 (えーと、えーと・・・) 昨日のあれは合意ではないんです。変態王子に無理やり喘がされていただけです。だから俺はあんな声を出したかったわけじゃあなんです、本当なんです信じてください。まったくもってなにもかもあなたの主人の変態セクハラ王子が悪いんです。ええもうやつのロイヤルでスペシャルなテクニックが全部悪いんです。今後の参考にぜひとも習っておきたいなんてちょっと考えちゃったりするくらい・・・っじゃなくって!! 違うくって!! あ。ダメだ。 俺、ここにいちゃー、ダメだ。 ふいに、達樹は悟った。 このままだと、確実に自分の変態の道に引きずりこまれてしまう。 変態さんいらっしゃーい、だ。 王子様と一緒にうふふーあははーな世界だ。 お花畑のなかでリヒトと手をつないでくるくる回る自分の姿を想像し、達樹はぶるりと身を震わせた。 (さ、さぶっ!!) 鳥肌が立ち、思わず二の腕をさする。 絶対にやばい。それだけは避けたい。 ここにいてはいけない。 王都に戻って、リヒトの屋敷だって出なきゃ駄目だ。 これ以上、係わってはいけない。 達樹は口元を引き締めて、すっと立ち上がった。
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