第2章 22



   「」が異世界語・『』が日本語




 達樹はじっとライナを見つめた。
「私でよければ、あの、ぜひ、王都へのお使いに行かせてください」
「ありがたいお申し出ですが、しかし殿下の侍従どのに・・・」
 ライナは少し戸惑っているようだった。主人の側を離れさせていいものかどうか、迷っているのだろう。
「大丈夫です。殿下には従騎士のコーノさんもいらっしゃいますから、お付きの用事は私がいなくてもいいのです。本当に、私が侍従というのは形ばかりのものですから」
 このチャンスを逃してなるものか! とばかりに達樹は食い下がった。
 事実、リヒトに勝手に侍従にされている達樹に仕事はないに等しい。セクハラの的にされてからかわれるくらいだ。リヒトの身の回りのことは、コーノ一人で事足りている。
 だいたい、リヒト自身も達樹に侍従らしい仕事をさせるつもりがないようなのだ。せいぜい、寝間にワインのグラスを持って来さすくらい。それ以外はまるで賓客の扱いで、縦の物を横にするのも嫌がった。
(お、俺は一刻も早くあのセクハラ王子の魔の手から逃げなきゃなんねんだよ!)
 でないと本気で貞操に危機が―――。
 達樹はさっと血の気が引いた。
(うぎゃああ!! やっぱ怖ェ! 俺は逃げる!)
「ぜひ! 王都へ行かせてください!」
 ライナはまだ逡巡しているようだったが、達樹の強い語調に心を決めたようだった。
「本当に、お願いしてもよろしいのでしょうか?」
「もちろんです!」
「それなら・・・」
 ほっとしたように、ライナは息を吐いた。なかなか頼る者が見つからず、よほど困っていたのだろう。
 それでは、とライナは持っていた革張りの小箱を達樹に差し出した。
「これを、カリフ城に勤めておりますリデルという侍女にお渡しください」
「リデル・・・さん?」
「はい。私の母です。母はロザモンド様の兄君の乳母でしたが、若君がカリフ城へ小姓として登られたさいに王都へ随行し、いまは王妃様付きの侍女としてお仕えしてしているのです。いくら幼い頃から知っているロザモンド様のご婚儀とはいえ、侍女の身分ではこちらのお館へ参ることもできませんので・・・」
 ライナを通じ、日ごろからロザモンドに心を砕いてくれていたリデルへの感謝の手紙と愛用のブローチを、婚礼のまえにぜひ下賜しておきたいと、ロザモンドに強く乞われたのだそうだ。
「こちらの書き付けを城の者に見せれば、母のところまで案内してもらえるはずです」
 ロザモンドの実家であるイリエ三位爵家の家紋と、ロザモンド自身の御印が入っているという、蝋を捺(お)された手紙のような封筒を小箱とともに渡され、その二つを達樹はしっかりと預かった。
 自然、気分が高揚する。
 これで、カリフ城に入れる理由ができたのだ。
 城に入ってしまえば、あとはまた体当たりで行動に移せばいい。城下の町で、ルクスとヒューズに小間使いを願い出たときのように、城内でもそこに留まっていられるよう、それこそこれから訪ねるライナの母親とやらに頼み込めばいいのだ。しかもライナの母は王妃付きの侍女だというではないか。
 王妃というのは王の妻。ってことは、その縁を利用して、王妃から王に信仰を取り戻させるよう仕向けることができるのでは・・・。
(これってチャンスじゃん!)
 達樹はライナに見えないようにぐっと拳を握った。


 一人で馬を操れない達樹のために、ライナは青年に供をするよう命じた。一刻も早くこの館を出たい達樹は、このまま青年と一緒に厩舎までついていき、その足ですぐ王都に出発するつもりである。
「お気をつけて」
 と深々と頭を下げるライナに、「お任せください」と揚々と応え回廊を渡って裏庭にある厩舎を目指した。
 だから、達樹は気がつかなかった。
 達樹に向けて深く垂れたこうべの下で。
 にんまりと、ライナの口の端が意味ありげに吊り上っていたということに―――。







 達樹と青年の足音が回廊のずっと先に去っていったから、ライナはようやくその顔を上げた。一重の目を、すっと細める。
 うまくいった、と思う。
 昨夜、応接の間にて、リヒタイト王子の側で、王子に守られるように寄り添っていた愛らしい少年の存在は、あの場にいた誰もが目を引かぬはずがなかった。
 事前に聞いていた招待客のなかには、歳若い貴人の情報はなかった。殿下の連れの集団には違いないのだろうが、それにしてはリヒトの少年に対する空気が違う。大事にされているのだろう。
 短い邂逅のなかで、ライナは達樹のことをそこまで見抜いていた。
 だからこそ、その美しい寵童が、リヒトの知らぬうちにこの館から消えてしまえば・・・。
 下働きの青年との会話を少年に聞こえるようにしたのはわざとである。
 中庭を歩いている少年の姿を見つけ、先回りしてこの回廊に立ったのだ。
 王都への使いを、こちらから説得してでもお願いする予定が、やけにすんなりとまとまったのは嬉しい誤算だった。
 うまくいった。
 すべては、ライナの主人、ロザモンドのためだ。
 なにもかも、ロザモンドのため。
「―――侍女殿」
 ふいに、背後から声がかかり、ライナは振り返った。
 背の高い大柄な、褐色の肌をした金髪碧眼のその青年は、たしかリヒタイト王子とともにやってきた騎士たちのなかに見覚えがある。
 近衛の正騎士たちより多少砕けた印象の格好から、ライナは彼が従騎士の身分であると見当をつけた。
「侍女殿、タツキ様をお見かけしませんでしたか?」
 従騎士の青年はライナの側まで寄ると、挨拶もそこそこにそう尋ねた。
「ああ、すみません。タツキ様というのはリヒト殿下の侍従です。十四五くらいの見かけの黒髪の少年なのですが、目を見張るほどの美しい顔立ちをしておりますから、目立たないはずがないのですが」
「その方が、どうか?」
「いえ、朝から殿下のお部屋を抜け出され、姿が見えないものですから。殿下が心配しておられます」
「まあ、そうなのですか・・・」
 ライナは、気の毒そうにしおらしく小首をかしげた。
「わたくしはそのような方はお見かけしておりませんわ」
 そして殊勝に続けた。
「―――でも、もしお見かけしましたら、殿下のところへお帰りになるよう、きっとお伝えいたしますわね」
 一重の目を、にこりと笑ませて。








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