第2章 24 「」が異世界語・『』が日本語 それから次の集落まで、オルマはあまりしゃべらなかった。 口を開いてまたロザモンドを称えてしまって、達樹にあらぬ誤解をされてしまってはいけないと身構えたのかもしれなかった。 二人とも終始無言のまま馬を走らせ、村とも言えないくらいの小さな集落についた途端、まだ夕刻にもなっていないのにオルマが今晩はこの集落に留まることを達樹に告げた。 「日が暮れるまえに、宿屋に入っておきたいのです」 「ロザモンド様のご婚儀まで日がないのに、急がなくて大丈夫なのですか?」 王都へ行って、カリフ城に登り王妃付きの侍女へ取り次ぎをしてもらうのにスムーズに運ぶとは限らないのではないだろうか。いくらイリエ三位爵家とロザモンド自身の書き付けがあったとしても、それを検めるのには時間がかかるのではないか。なおかつまた、そこから引き返してこなければならないのだから、もっと道のりを稼いだほうがいいのではないのかと達樹は心配した。 もちろん達樹はそのまま王都に残るつもりでいるが、カリフ城で働いているライナの母親のリデルに、達樹がきちんとロザモンドのブローチを届けることができたかどうかを、オルマは報告しなければならないだろう。 その王都までは馬車で十日もかかる道のりなのだ。単純計算で往復二十日。単騎で駆ければ馬車よりもだいぶ速く行けるとはいえ、この集落までまだいくらも進んでいないのだ。暁城からもそんなに離れていないかもしれない。 日が暮れるまで先を急いだほうがいいのではないだろうか。心配になってそう進言してみたのだが、しかしオルマはにこりと笑って首を振った。 「大丈夫ですよ。明日からは近道の森を一気に抜けますから」 「近道?」 「はい。森というか、山道なんですが・・・山裾に沿った街道ではなく、その道を使えば王都までまっすぐ突っ切れるのです。道が悪くて馬車など通りませんから、あまり知られていないんですけどね」 「はあ・・・」 そうだったのか。 ただ、とオルマは申し訳なさそうに達樹を見た。 「その道を使えば、王都までは三日で辿り着くことができるのですが・・・あの・・・森を抜け切るまでに、明日からは山のなかで野宿をしなければなりません」 「はい」 それが? というふうにオルマを見上げると、青年は頬を赤らめながらもますます申し訳なさそうに背を丸めた。 「あの、その・・・殿下の侍従どのに野宿をさせてしまうことを、黙っていてすみません。ですが王都まで急ごうと思うと、その道しか俺は知らなくて・・・」 どうやらオルマは、侍従である達樹を地べたで寝かせてしまうのが心底辛いらしかった。 (そんなことかよ!) と、達樹にしてみれば突っ込まずにはいられない。 森で野宿くらい、別になんでもないことじゃないか! あのまま館に居座って、王子のセクハラに耐えるくらいなら。 虫と一緒に雑魚寝したほうがナンボもマシだっての! 幸いこの国の気候はサーラ様お墨付きの暑なし寒なし湿気なしの過ごしやすさ。 毎年恒例の強制参加である、サッカー部の真夏の禅寺合宿に比べたら・・・。 地獄・・・。 (お、思い出したくない!) 「あ、あの、オルマさん。私は野宿など、まったく気にしませんから」 むしろオッケーどんとこい! ってなもんだ。やっとサバイバルらしくなってきて楽しいじゃんか! 「し、しかし・・・」 「大丈夫です!」 にっこりと白い歯を見せて微笑んで応える達樹に、オルマはやっぱり首まで真っ赤に染めて俯いた。 森に入るまえの、この街道沿いの集落は、やはり王都へ行き来する旅人や商人たちに利用されているらしく、規模のわりに宿屋の数が多いのだった。 (つまり、旅籠街ってやつだな。水戸のご老公一行もよく立ち寄っていた・・・) 頭のなかに葵の紋所の印籠とあの有名な定番ソングを思い出しながら、オルマと二人、今は馬から下りて街のなかを歩いている。 まだ夕刻もだいぶん早いということもあって、この集落に留まろうとする人は少ないようだった。みな通過点のひとつとして、宿屋を覗いている姿はあまりいない。この様子だと、どこでも希望の宿に泊まることができそうだ。 オルマはライナから王都までの旅賃を預かっているらしく、リヒト王子と行きがけに泊まり歩いたような豪華な宿舎とまではいかなくても、そこそこの宿屋には泊まれるだろうとのことだった。 オルマはこの近くの出身だそうで、この集落の地理にも詳しく、清潔さが売りだと言うお勧めの宿までまっすぐに歩き、迷わず受付を済ませた。 白い漆喰の三階建てのその宿屋は、ユーフィール王国では一般的な宿屋の造りである。 一階の入り口に受付があり、馬を預けることもできる。もちろん、馬車での旅行になると、玄関に車止めがあるようなそれなりのランクの宿が求められるが、普通の旅行者が泊まるのならば裏に小さな厩があればじゅうぶんである。 このランクの宿は本当に寝るためだけの場所であり、食事などは近くにある食堂で包んでもらうか、居酒屋などへ行かなければならない。そのどちらにしても、ついさっき馬上でオルマのビスケットをたらふく食べていた達樹は、さすがにまだ空腹には早かった。 「では、祈祷所に行ってもかまいませんか?」 そう提案したのはオルマだった。 「明日からの旅程の無事を祈っておきたいのです」 侍従どのを、無事にカリフ城にお送りできるように女神様にお祈りしておきたいのです。 照れながらも、真剣な顔でそう言ってくれることが、達樹はなんだか嬉しかった。 集落の中心にある祈祷所の建物は、先だってトレア村で立ち寄った祈祷所よりはこじんまりしているようだった。 灰色の四角い二階建てという造りは同じだが、身廊自体が3ガン(約5.4メートル)ほどしかなく、側廊の柱の数も少ない。ただ、その奥の祭壇の様子などはさほど変わりがないようだった。 トレア村のものと同じく、長方形のテーブルに、金糸で刺繍された布をかけ、その上に女神たちの像や燭台や香炉が置かれている。壁のステンドグラスは緻密な蔦が描かれており、緑色の光が穏やかに室内にあふれていた。 宿場町の祈祷所だけあって、祈っているのはほとんどが旅人の装いの者ばかりだった。みな砂塵を避けるマントを身に着けているからすぐに分かる。 見よう見真似で覚えた作法にならい、達樹はオルマと並んで祭壇のまえにひざまづくと、フードをはずして両手を組んだ。 目を閉じて、恐怖の女神様方にとりあえずの現状を胸のうちで報告しておく。 彼女たちに届いているのかいないのかは分からないが、なんとなく祈祷所に来て挨拶しないのは怖い。 (無視っといて、あとでひどこい目に遭わされたらたまんないからな。絶対締められるに決まってるし。なんたってあいつらは性根鬼ババ―――) と、ぼやきかけて、そのぼやきこそがサーラ様がたの逆鱗に触れる内容であることにはっとして、慌てて(い、今のナシ! 嘘です!) などと焦って取り繕ったりしていた達樹は、だから気がつかなかった。 フードから現れた達樹の、柔らかな波を描く黒髪に縁取られた白い横顔に、周囲の者たちが思わずはっと目を見張り、みな一様にごくりと息を飲んで見入ってしまったことなど。 初々しく揺れる長い睫毛の影に、老齢の神官でさえ顔を赤らめてしまったことなど。 小さな女神像に向かって真剣に祈りを捧げるその華奢な姿に、ざわめいていたはずの室内が、シン・・・と水を打ったように静まり返っていたことなど。 静謐な空気のなか、ステンドグラスから零れる陽光を綺羅と浴び、白い肌を淡く輝かせて咲く一輪の可憐な花のごときその姿の、なんと神々しいことか。 誰もが、見惚れずには、魅入られずにはいられないその愛らしさ―――。 (あの〜その〜・・・えっと、親愛なるサーラ様、ユーラ様、リーラ様、お元気ですか。俺はまあ、なんとかセクハラ王子の魔の手から逃亡することに成功しました。美味しいビスケットにも出会い、今のところは元気です。それから、えーと) など、ぎゅっと目を閉じてすっとぼけた報告をうんうんと唸りながら懸命に継続中の達樹には、そんな周りのうっとりした空気にはまったく気がつかないのだった。 それから宿屋に戻った達樹は、硬い寝台にすぐさまごろんと横になった。 下男の自分が侍従どのと同じ部屋で休むことはできません・・・と、オルマが別々に部屋を取っていたのを、達樹はもったいないから一緒でいいとかたくなに断り、二人部屋に変更してもらった。 別々といっても、達樹のために二人部屋をひとつ余分に借りて、オルマは大部屋で休むつもりであったらしい。二人部屋に一人で寝るのなんてもったいなさすぎる。だからしきりに恐縮するオルマを説き伏せて、借りていた大部屋をキャンセルしてもらったのだ。 そのオルマは夕食を包んでもらいに出かけてしまった。居酒屋に食べに行っても良かったのだが、明日から野宿に備えて携帯食も一緒に買ってくるらしく、少々時間がかかりそうですからゆっくりしていてくださいと、達樹を部屋に残していった。 硬い鞍に座りっぱなしでじつはお尻がつらかった達樹は、買出しに興味はあったものの、これからの旅路を考えて大人しく留守番することにしたのだった。 それに、祈祷所を出たところに目つきの悪い男たちがいたのも怖かった。 さっとオルマの背にすがりつくようにして身を隠したが、なんとなく自分のことをじろじろと見ていたような気がしたのだ。 (マントのしたの、この高級素材な上着がいけないのかなあ・・・) 水戸のご老公だって、縮緬問屋のご隠居姿はもっと地味なもんだしなあ。 もしかしたら、すっごいお金持ちに見られたのかも。 実際、オルマの話によると、このような宿場街ではやはり旅人目当ての盗賊などが出るらしい。 (俺、ほんとは無一文なんだけど) しかもリヒト王子から逃げ出してきた今、現状、住所不定の無職ってやつだ。 ―――この辺りはまだ王領に近く、そこまで治安が悪いことはないとは思いますが・・・念のため私が戻るまでは誰が来ても、たとえ宿の人間であっても決して扉は開けないで、しっかり鍵をかけておいてください。 子供に言い聞かせるかのように、何度も何度もオルマは達樹にそう言い含めてから出かけて行ったのだ。 達樹だって、何かあるのは嫌だ。痛い目に遭うのは避けたいし、殺されるなんてもってのほかである。 「もちろんです。決して扉は開けません」 とオルマには力強くうなずいて応えた。 だが―――。 ドンドン、ドンドン! と荒々しく扉が叩かれ、「お客さん、大変です! 大変なんです、あんたのお連れの方が・・・!」と外から切羽詰ったように叫ばれては・・・。 「は、はい!?」 「開けください!! あんたのお連れさんが!!」 「オルマさんが・・・!?」 どうかしたのか!? 思わずベッドから飛び降りてとっさに鍵をはずし、無防備に扉を全開した達樹のまえに現れたのは―――。 どう好意的に見ても、悪人面、としか言いようがないご面相の方々が五人ばかり。もちろんオルマなどいない。 その悪人面の男たちの皆が皆、達樹を見下ろして下品なにやけ笑いを口元に浮かべている。 (あ・・・あれ・・・?) 俺、やっちゃった? 「・・・近くて拝むと、こりゃまた極上だな」 「ああ。さっきちらっと見かけただけでも、こいつは別格もんだと思ったしよ」 「なあ、売っ払うまえに、試していいか・・・?」 「そりゃいいや。細っこいから、アソコの締まりもたまんねえだろうさ」 見れば、男たちのズボンの前はすでに大きく膨らんで・・・。 あの、なんか、これって、こんなことって、えーっと、たしか前にもあったような・・・? たらりと、脳裏によぎる嫌な予感。 もしかして、またもや俺、貞操の危機、ですか?
|