第2章 26



   「」が異世界語・『』が日本語



 た!
 たーすーけーてー!!
 誰かぁー!!
 攫われている間、ずっとそう声を大にして叫んでいたのだが、顔の半分を覆う分厚い布にその声はすべて吸い取られ、唸り声さえ洩れることもない虚しい有り様に、達樹は多いに焦っていた。
(うぎゃああ!!! ちょ、ちょっとマジで俺やばくね!? こんなん犯罪でしょ!? マジちょっとありえねえって!!)
 口を布でふさがれた上、全身をすっぽりとマントで覆うように隠された格好で五人の悪漢たちに連れ去られた達樹は、嵐のなかの小船のようになすすべもなく、引きずられるようにして宿屋から森のなかのあばら家に放り込まれていた。
 両手は背中で縛られて、固い床板に転がされて彼らに見張られている状態では、とてもじゃないが逃げだすことなど出来そうにない。
 だいいち、ここはいったいどこなのだろうか。
 歩いた距離からすれば宿場町の集落からはさほど離れていないだろうに、鬱蒼とした森のなかは怖ろしく暗澹としていて、壁にかけられた燭台の、安っぽいロウソクの光源だけでは室内のすべてを見渡すことができない。かろうじて首を巡らすと、ヒビ入ったガラス窓や、家具といえば粗末な長椅子と丸テーブルがあるだけのこの小屋は、囲炉裏に炭の跡もないことから普段は使用されていないのだろう。だからこそ、この場所が誰も寄り付かぬ、人目に触れぬ寂しいところなのだと思い知らされ達樹はいっそう恐怖が増した。
 こんなところに達樹が連れて来られているなど、いったい誰が分かるだろうか?
 宿屋からいなくなっている達樹をオルマが探してくれていればいいが、それでもこんな森のなかでは小さなあばら家の場所など見当もつくまい。


 小屋に入った途端、よだれを垂らさんばかりに達樹の全身を舐めるように眺められ、今にも乱暴されそうな雰囲気だったのを、五人のなかの首領格らしき男によって寸手でそれは免れたのだが―――。
「なあおい、ギヨームの兄貴はクリイガの旦那を迎えにいったんだよな?」
「ああ。あの旦那はこの時期ケイニー村近くの、シリムの温泉宿に逗留しているからなァ。誰に売るよりあの旦那が一番好い値をつけてくれる。俺たちゃツイてるぜ」
「だがよぉ。おかげで俺らはこうしておあずけ食ってんだぜ! 本当なら今頃楽しんでるはずだったのによぅ。俺の息子はまだ静まんねェよ」
「そりゃ俺もさ。見ろよこのマラ! かわいそうに、お嬢ちゃんのケツに入りたくって仕方ねえって、汁まで垂らしてウズウズしてんのによぉ・・・。なあ、兄貴にばれねえように、味見しちまってもいいか?」
「バカが! ギヨーム兄貴に知れたらコトだぜ!」
「ちっ!」
 客人を迎えに行ってくるから、その間は決してお嬢ちゃんに手を出して汚すんじゃねえぞと命じられ、残された四人に微妙な距離で取り囲まれた達樹の心境たるや、戦々恐々なんて言葉では言い表せないくらいだった。
(うぎゃあああ!!! ななな、なんつー危険なっ!!)
 これって、絶体絶命のピンチだろ、俺!!
 き、危険すぎんだろこのおっさんら!
 よりによってこんなのに捕まるって、俺・・・!!
 達樹のことをわざとらしくお嬢ちゃんと呼び、ズボンの前を膨らましたままギラギラした眼で達樹を見下ろしてくる様子は、さながらいやしく飢えた下等な獣そのもので、そんななかに一人取り残された達樹は、せめて彼らを刺激しないよう、息を殺して身構えているしかなかった。
(俺、売られるの!?)
 神子なのに!?
 そりゃ誰も知らないんだけど!
 この国を救うためって役割で、無理やり連れてこられたのに!? と達樹は嘆かずにはいられない。幼い頃から神子になるため女神たちに躾けられ、単身この世界に渡ってきたのだ。このユーフィール王国を守護する三姉妹神の使いとして、達樹は存在しているというのに。
 その神子がこんな危険な目に遭ってもいいのだろうか?
 サーラ様たちは達樹がこんな目に遭っていることを知っているのだろうか?
 それとも平然と達樹を下僕呼ばわりする女神たちのことだ。達樹が危険な目に遭っていたとしても、自力でどうにかせよ、と見て見ぬ振りをするかもしれない。
(あ、あり得ない話じゃねえ・・・)
 そういえば、その女神様方とはこの地に降り立ってからはまったくの音信不通である。
(俺って、いったい・・・)
 自分は本当に神子なのだろうかと疑わずにはいられない。女神から祝福は受けたが、美貌に剣技に神剣という、達樹にとっては迷惑極まりないものばかりでこれまでまったく役に立ったことがないのだ。
 サーラ様好みの美貌は可憐な美少年で恥ずかしいだけだし、銃刀法の存在する日本の一般家庭で育った普通の高校生が神剣なんかもらったところで有り難いわけがなく、したがって妙(たえ)なる剣技だって目下披露の必要がない。
 ハリー・○ッターみたいに魔法でも使えるようにしてくれるのなら良かったのに。だったら、こんな目に遭っても呪文とか唱えてぱぱぱっと自力で抜け出せるだろうに・・・。
 両腕を背後で拘束されて変態どもに見下ろされ、彼らに逆らわないよう、ただ大人しくしているしか、今の達樹にはどうしようもないのだ。
 きっとこのまま、ドナドナの子牛のように売られてしまうのだろう。
 そうなったらいったいどうなってしまうのか。
 王子のところにいたとき、リヒトのセクハラには散々振り回されてはいたが、待遇自体はとても良かった。着るものも食べるものも寝る場所にも不自由はしなかったのだから、とても恵まれていたのだろう。
 だが、こんな野蛮な男たちに売られて行った先など・・・。
(やっぱり、奴隷とか?)
 とっさにその単語が頭に浮かぶ。
 奴隷といえば・・・。
 たこ部屋に放り込まれて、石切り場みたいな現場で死ぬまで働かされるのだろうか。ご飯だって水と硬いパンだけで、動けなくなったらムチとかで叩かれて。
 いや、それとも・・・。
 見世物小屋のオーナーとかに買われて首輪と鎖でつながれて、牢屋みたいな狭い箱に押し込まれて全国を巡業して回るとか。ナイフ投げの的にされたり、行く先々で子供に面白がられて石とか投げつけられたり・・・。
 いやいや、それとも。
 有閑マダムにお買い上げされて、子猫ちゃんとか呼ばれて裸に蝶ネクタイとかの変な格好でワインを寝室に運んだりさせられるのだろうか? そこには達樹みたいにマダムに買われてきた少年たちがわんさかいて・・・。
 いや、さきほど男たちは「クリイガの旦那」という名称を口にしていた。
 旦那ということは、これから達樹を買いに来るのは男だ。しかも高値を出してもらえるらしい。きっと、脂ぎったハゲの中年で、太ってて、歯とか黄色くて、芋虫みたいな指にはゴテゴテの金の指輪が何本もはまってて、そしてやっぱり裸に蝶ネクタイとかで寝室にワインとか運んだりさせられるに違いない。
(うぎゃああ!! 嫌だって!!! それならまだ有閑マダムにワイン運ぶ!! そのほうがマシ!!)
 想像しただけで背筋にぞっと悪寒が走る。
 だーかーらー!!
 なんだって俺ばっかりこんな目に!
 なにが悲しくて変態の親父に身売りなど。
 俺ってどんだけ不幸なの!?
 そりゃオルマの言いつけを守らずうかつに扉を開けたのが悪いのかもしれないけれど。
 よりにもよってこんな危ない犯罪者に捕まるだなんだ。
(ににに、逃げなきゃ・・・!)
 今更ながら抵抗しようとまずは身をよじってみるが、背後で縛られた手首の縄はきっちりと固結びされているようでびくともしない。それに四人もの悪漢を相手に、小柄ないまの身体で無事に逃げおおせるとも思えなかった。こんな姿にされるまえの、サッカー部(補欠だけど)で鍛えた健脚ならまだしも、いまの達樹はぜったい女の子よりも走るのが遅いに違いないのだ。
(ううう、何度も言うけど、なんだってサーラ様は俺をこんな姿にしてくれたんだ!! 恥ずかしいだけでなくマジで迷惑なんですけど!!)
 こうなったら、どうにか男たちの気を逸らす方法がないだろうか?
 達樹から意識が逸れた隙に小屋を抜け出すことができれば、あとは薄暗い森のなかだ。木々に紛れて逃げ切ることができるかもしれない。
 ギヨームとかいうリーダー格の男と、クリイガという人買いの変態がやってくるまえに―――。
(な、なんとかしないと・・・!!)
 小屋の外で、馬のいななく声が聞こえた気がして、男たちがいっせいに顔を上げた。
「お、ようやくお戻りかい」
「馬ぁ?」
「クリイガの旦那の馬だろうさ。なんせ御大尽様だ。ちょっとの距離でも歩かないってまえに兄貴が言ってたぜ」
「ふん、金持ちの考えることは分からねえな」
「まあ商売するにはいい相手さ」
 面白くなさそうに言い合う男たちの視線のさきで、やがて、ギィ・・・ときしんだ音を立て小屋の粗末な扉が開き、客人という人影を連れて男が戻ってきた。
(お、遅かった・・・)
 ギクリ、と達樹の顔が強張った。








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