第2章 29



   「」が異世界語・『』が日本語



 馬上も大人しくリヒトに抱えられたまま、ヒューズら騎士たちに守られて暁城に戻ってきたとき、すでに時間帯は深夜をとうに越えていた。林に囲まれた道中、ホーホーと、ふくろうの鳴き声ばかりがやけに大きく聞こえている。
 馬を走らせながら、舌を噛むから黙っていろと達樹には命じておきながら、リヒトはなぜ達樹の行方が分かったのかを短く教えてくれた。
 達樹が攫われたあと、下男のオルマがすぐに暁城へ戻り達樹の探索をロザモンドに願い出たのだそうだ。リヒトはすぐに行動し、このカバスナ領内に駐在していたすべての騎士たちを総動員させて達樹の居場所を探させた。
 ギヨームは誰の目にも触れずと嘯いていたが、人攫いの現場の、怪しい五人組の動きはやはり目撃者がいたらしく、その情報もあって、以前から性質の悪い連中として警戒されていたギヨームらのアジトは、だから広い森のなかとはいえ意外にもすぐ探し出すことができたのだ。
 おかげで、かなり際どいところまで危険な目には遭ったが、それでも最悪の事態を迎えることなく達樹は戻ってくることができた。
(もうちょっと遅かったら、俺、ほんとにあいつらに強姦されて殺されてた・・・)
 コアラの子供みたいにギュッとリヒトの胸にしがみついたままの達樹の姿を、両脇に伴走するヒューズもルクスもからかわないでいてくれるのがありがたかった。
 暁城の城影が見えてきた頃には、なんとか気持ちを落ち着かせることができたのだから。



 月明かりに浮かぶ暁城は、陽のなかで見上げるときとはまったくその印象が違うようだった。
 日中陽光を受け、その異名の通りに赤レンガの壁を輝かせる堂々たる領主の館の姿ではなく、赤い色味は夜の闇に深く溶け、さらに昏々とした暗闇となって静寂なる漆黒の要塞へと変貌する。
 正門に焚かれた巨大な篝火の下を潜って馬を下りると、達樹たちはまっすぐにトライスの執務室へと向かった。応接室と違い大勢では行けないため、ヒューズとルクスのみが二人の後ろをついて来ている。
 正門をすぐ真下に見下ろす位置にあるその執務室の、分厚い木製の扉を開けた途端に、まずは広い執務台のまえに渋面を作って立つトライスの派手な長身が目に入った。
 その足元に、ひざまずいてうな垂れる女性の背中が、二人。
 トライスの婚約者ロザモンドと、その侍女ライナだ。
 ロザモンドは相変わらず黒いベールをつけたままで、ライナはそんなロザモンドに寄り添い背を支えている。
 どうやらトライスはきつい尋問を二人にかけていたようで、その証拠にリヒトが扉を開けた瞬間にも、彼の怒鳴り声が部屋中に響いた。
「―――だから私は、どうして殿下の侍従殿を使者とするような勝手な真似などしたのかと聞いてるんだ! 貝のように黙っていては分からないだろう! いいかげんに理由を言いなさい!」
「そ、それは、ですからわたくしが・・・」
「侍女には聞いていない! 控えよ!」
 厳しい叱責をライナに与えたトライスが、苛立った様子で黒髪の巻き毛を乱雑にかき上げたとき、ようやく部屋に入ってきたリヒトたちに気付いたようだった。
「殿下、戻ったか! それに侍従殿も―――」


「ご無事でいらしたのですね・・・!」


 リヒトに肩を抱かれてはいるが、見たところ怪我の様子のない達樹の姿にトライスが声をかけるよりも先に、その無事を確認する声があった。
 いくら叱責しようとも、かたくなに口を閉ざしてずっと沈黙を貫き通してきたロザモンドが立ち上がり、心からの安堵の声を張り上げていたのだ。
「ああ、よかった・・・」
 トライスさえ初めて聞いたロザモンドの声。
 それは冬の泉のように澄んで清(さや)かだが、しかし、とうてい女性らしからぬ音階であった。
 喪服まがいの黒いドレス姿の婚約者を、トライスは驚愕の顔で見つめた。
 その、女性にしては低すぎる、声―――。
「お、おまえは・・・男、か・・・?」
 ゆっくりとトライスを振り返り、するりとベールを脱ぎ落としたロザモンドは、プラチナに輝く長い髪と白い額の全貌を露にし、髪と同じ色の豊かな睫毛を静かに伏せた。





 衝撃の事実に、驚いたのはトライスだけではない。
 リヒトも、ヒューズもルクスもだが、もちろん達樹も仰天していた。
(えええっ!? うっそ! 男!? って、ベール取った今だってキレイなお姉さんにしか見えないんだけど!!)
 嘘だよね!?
 だってウエストだってめちゃくちゃ細くて、下手すりゃ隣にいるライナさんより華奢じゃんか!
 自分だって可憐な容貌と女の子なみの華奢な体格になってはいるが、達樹の場合は女神様の祝福のたまものであり、言うなれば人工である。
 だがロザモンドは違う。生まれ持った天然素材だ。
 その百合の花のごとく凛とした美貌で男だと告白されて、はいそうですかとすぐに納得できるものではない。
(嘘だって! あははっ、冗談だよね!?)
 だが。
「左様でございます・・・」
 粛々と膝を折り、トライスに向けて深く頭を下げられてしまっては―――。
 ロザモンドが真実、男なのだと、信じないわけにはいかないではないか。
 トライスはよろめき、思わず背後の執務台に手を突いたようだった。
「な、なぜ、そんな偽りを」
「申し訳、ございません・・・すべて、すべてお話申し上げます」
「ロザモンド様っ・・・」
 すがるように声を上げた侍女に、しかしロザモンドは力なく首を振った。
「よいのです、ライナ。これ以上この方をだまし続けることは、わたくしも辛い・・・」
「で、ですが」
「もう、よいのです・・・」
 搾り出すようなロザモンドの声にかぶって、目頭を押さえたライナが堪えきれずに嗚咽を洩らした。




「ご承知の通り、わたくしはこのロンバーク地方はエン領を治めるイリエ三位爵の五番目の子供として生まれました。わたくしが夫妻の実子であることは、間違いございません。ただ・・・」
 ロザモンドの両親であるイリエ三位爵夫妻は、四人の男子に恵まれ、次にできる子供はどうしても女の子が欲しかったのだそうだ。
 念願の五人目が授かりはしたが、しかし生まれた子はまたしても男子であった。
 しかし、その赤ん坊がいままでの兄弟になく愛らしい女顔であったので、ついつい女名をつけてしまった。
「そのときは、ほんの思いつきであったのだそうです」
 もちろん、貴族の義務である王宮への出産報告は本来の性別で申告する予定であった。だが夫妻は、少しだけ、少しの間だけ、女の子を授かった気持ちに浸ろうとしていたのだ。
 しかし、それが悪かった。
「当時、たまたま遊行の途中で国王カインベルク陛下がエン領のわが屋敷に急遽立ち寄られたのです。ほんの一刻、休憩をとられるためだけの短いご訪問でいらしたのですが・・・」
 カインベルクはその屋敷に誕生したばかりの赤子の存在を知り、まもなく王宮へと戻った王から祝儀として女児の産着が早速届けられた。出産の届けはまだだったが、その女名から女児と判断されたのだ。
 あたりまえで、普通ロザモンドと男児に名付ける親はない。
 両親の三位爵夫妻は真っ青になった。
 祝儀を頂いてしまった以上、いまさらじつは男の子だったのですとは言えない。国王をたばかったとして、不敬罪になってしまう。
 即位のまえから自由な気質で周囲を翻弄するカインベルク国王が、誤解とはいえみずからを欺かれることを最も毛嫌いしていることは、この国の貴族ならば子供でも知っていることだ。
 ―――こうして、ロザモンドは女性として生きなくてはならなくなってしまった。








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