第2章 31 「」が異世界語・『』が日本語 ようよう話を聞いていれば、気位ばかり高く、愛想のないロザモンドの姿はどこにもなかった。 むしろ健気で、物静かな、心優しい人柄である。 本来ならば大貴族の子息として、高級官僚として、または騎士として、世間を走り回り名を上げることも可能だったはず。 それを、両親の期待と、国王の誤解により、女性としてひっそりと隠れて過ごさねばならないという不幸な一生を背負ってしまった。 そんな境遇になんの文句もなく、ただひたすら自分の家族を、そして侍女を守るために矢面に立ち、必死に涙をこらえようとする凛然とした面差しの、なんと美しいことか―――。 しん、とした室内に、トライスが一歩踏み出した。 床にひざまづいたままのロザモンドに近づき、腰を折ってその手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。その顔に先ほどまで見せていた厳しい怒気は微塵もなく、代わりに優しい苦笑が浮かんでいた。 「ロザモンド、そなたは我が婚約者殿だ。私の妻になる者の罪ならば、私もともに背負わねばならないな」 「トライス様? なにを・・・」 「そなたの覚悟、私もともにすると言ったのだ」 「なっ・・・なりません!!」 「いいや。決意した。リヒタイト殿下、そういうわけだ。至急王宮に戻られ、すみやかに陛下の決裁をお尋ねください」 青褪めて留めようとするロザモンドの悲鳴に似た言葉など聞かず、悠然と、トライスはリヒトに対峙した。 「・・・ことが露見すれば、これは大事(だいじ)だぞ。おまえたちの極刑は免れないだろう」 「無論、承知の上だ」 「本気か?」 「ああ」 穏やかに首肯するトライスの姿に、むしろ驚いたのは達樹であった。 うぎゃっ、えええっ!? 極刑って、極刑って・・・。 えーと、時代劇でよくある張り付け獄門ってやつじゃね!? って、つまり死刑ってことで―――。 第二王子の侍従をかどわかした罪で? 男だって内緒で二位爵家に嫁ごうとした罪で? この人たち、死刑になっちゃうってこと・・・!? たったそれだけ・・・といってはいけないんだろうけど。 それでも。 「駄目です!」 思わずそう声を張り上げていた。 「どうした、ボクちゃん?」 「だ、駄目です、極刑なんて、そんなの・・・」 だってこのロザモンドさんって、結局ぜんぜん悪い人じゃないじゃんか! むしろいい人! それにトライスさんだって、じつはなんか男前なやつじゃん! そんな人たちが死刑になるって、ありえねえって!! 「あ、あの・・・たしかに攫われたときは、怖い思いもしましたが、しかし王子様のおかげで私もこうして無事でおります。ロザモンド様の事情だって、哀れと思いこそすれ罪になるようなことだとは思えません」 達樹はすがりついたまま必死にリヒトを見上げ、その大きな黒瞳でまっすぐ見つめた。 「お願いです・・・」 てめー、こういう時こそ持ってる権力を行使しやがれ! じゃなきゃただの変態だぞ、このセクハラ王子がっ!! 「どうぞロザモンド様をお許しください!」 二人を死刑になんかさせんなっ!! 白磁の頬を紅潮させ、懸命に見上げてくる可愛い達樹の表情に、リヒトは溜め息をつきたくなった。 リヒトにとって、達樹が攫われ、あの汚らしい小屋で男たちに襲われそうになっていた事実はまったく許しがたいものだった。 半裸に剥かれ、白い脚を割って自分以外の男に圧し掛かられていた光景は、思い返すだけでも腸(はらわた)が煮えくり返る出来事なのである。 リヒトの激憤を、果たして達樹はどれほど分かっているのだろうか。 だが。 その達樹自身が許して欲しいと言うのならば。 葛藤はあるが、リヒトはもう、彼の言う通りにしてやるしかない。 思わず目を閉じ、嘆息をこらえる替わりに腕のなかにある達樹の黒髪を撫でる。 手のひらにすっぽり収まってしまう、小さな頭だ。 ・・・やはり、俺は甘いな。 洩れそうになった苦笑を、瞑目を解くことでキリと引き締めた。 「―――では、俺の胸におさめておく。お前たちも、この件に関しては口外法度だ」 いいな? と振り返らずも背後に立つルクスとヒューズに付言すれば、御意、と二人の騎士は神妙に頭を垂れた。 ほっとしたのは達樹だけではなかった。トライスに手を取られたままのロザモンドも、安心したように小さく息を吐いていた。 「で、トライス、これからどうするつもりだ? 婚約者が男と知れた以上、このままロザモンド殿と結婚するわけにもいかないだろう?」 リヒトのその問いに、即答したのはロザモンドであった。 「もちろん、殿下のおっしゃる通りです。わたくしはすぐにもこちらの館を引き払い、エン領に戻ります。皆様には大変ご迷惑をおかけしました。父に言って、婚約の破棄も伝えます。最初からそうすべきだったのです。・・・トライス様には、もう二度とお目にかからぬよう致します。お許しください・・・」 ―――本当は、少しだけ楽しかった。 屋敷から出たことなどなかったのだ。 エン領からカバスナ領までの道のり。生まれて初めて乗った馬車。 兄弟以外の男の人の、トライスの立派な立ち居振る舞い。 自分も男として育っていればどうだったろう。 恨みはなかった。 両親や兄弟はじゅうぶんに優しい。 でも。 もしも、ロザモンドがちゃんと男として育っていれば。 トライスと友にはなれただろうか? なにを語らおうか? くつわを並べ遠駆けをしただろうか? そんな想像ができただけで楽しくて、ロザモンドはとても嬉しかったのだ。 「―――今まで、ありがとうございました」 少しだけ目じりを下げ、ロザモンドは頑張って微笑んだ。 白い花びらが、うっすらと開くような儚げな笑み。 しかし、その微笑みに魅了されない人間は、その場に一人もいなかった。 「・・・いや、婚約の破棄など必要ない。そなたは私の妻になるのだ」 「え?」 いきなり強く手を引かれ、よろめいた肩を抱かれてロザモンドは驚いた。だがそれよりもトライスのその言葉の内容に驚愕する。 「ト、トライス様・・・?」 「ロザモンド、これはもう決まったことだ。なにより陛下がお決めになったことだ。われら貴族が逆らえるはずがない」 「い、いけませんトライス様! 私では妻にはなれません。私は男なのですから!」 「私は、ロザモンドという者を婚約者に迎えたのだ。いまさらほかの名前の者に興味はない。なにが不安だ? 跡取りか? しょせん三男坊の私に跡取りなど期待されていない。どうしても子供が欲しければ私かそなたの兄の子を養子に迎えればよい」 「駄目です、トライス様にご迷惑が・・・」 「迷惑なものか。むしろ、そなたを手に入れることができて私は幸運な男だ」 「しかし」 「もう黙りなさい」 「あっ―――」 トライスはさっさとロザモンドの白い顎を捕らえると、深く、唇を重ね合わせ、その声を奪った。 何度も何度も唇に口付け、髪を撫で、首筋を吸う。 やがて、息が上がってくったりと大人しくなったロザモンドを抱きかかえ、リヒトに「あとは頼む」と視線を送って部屋を出て行ってしまった。 「相変わらず、手の早い奴だ」 と肩をすくめるリヒトの側で、達樹は目を丸くしていた。 あれって、やっぱり、そのう・・・。 つまり・・・。 (お、大人って! な展開だよね!) うぎゃあああ!! なんつーことだっ!! やはりトライスという男は油断がならない色男だったようだ。さっき男前だと見直したのは、間違っていたような気がする。 「あいつのあの様子じゃ、結婚式まで婚約者殿を寝台から出さないかもしれないねえ」 「てっ、てめ・・・なんつーことを!」 やけに楽しげに呟いたヒューズのおでこを、ルクスが平手で打っていた。涙目になったヒューズが唇を尖らせて抗議している。 ぎゃあぎゃあと言い合う深緑の騎士二人を眺めていた達樹は、ふいに肩に置かれたままのリヒトの手の存在を思い出した。 そういえば、リヒトはこうしてずっと達樹を抱き寄せたままだった。いやむしろ―――あの森の小屋を出てから、達樹がリヒトにしがみついている。 (うぎゃっ! お、俺・・・!?) なんでこんなにこいつにくっついてんの!? 密着しすぎだろっ!! 「あ、あの、王子、てっ、手を・・・」 「うん?」 目の前の男は、頬にかかる金色の髪が蝋燭の炎に照らされて輝き、まるで獅子のたてがみのように雄々しくて、さすがは王子様だとうなずかせるような風格で。 男らしく精悍な眉が、まっすぐ整った鼻梁が、泰然と結ばれた口元が、静かに達樹を見つめている。 浮かべた微笑ににじむその甘やかな空気に調子が狂って、達樹は寄せられた腕を強く振りほどけなくなった。 ぎゃ、ぎゃあ・・・。 (あんまし、そんなふうに、見ないで欲しい・・・んですけど) そうやって優しくされるのには慣れてない。 物心ついたときから、あの三姉妹神に虐げられて育ったのだ。長男気質で苦労性なのも自覚している。 王子のセクハラに耐えかねて、それでついに逃げ出したのだけど。 「なあボクちゃん。もう黙っていなくなるな」 心配だから。 って、そんなことを言われてしまったら。 「は、はい・・・!」 思わず、達樹はこくりとうなづいていて―――。 お約束のように、ハグ&チューの西洋式過剰スキンシップをぶちかまされてしまった。 と、いうわけで。 異世界在住中、加賀達樹、18歳。 王子様の侍従に、めでたく再就職したようです。
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