第2章 32



   「」が異世界語・『』が日本語



 長躯の男の固い杭が、ひときわ深く突き刺さったとき、総司は思わず声を洩らした。
『っう、あぁ・・・』
 熱いしぶきが身体の奥に注がれるのが分かり、それすら痛みに上乗せされる。
 背後に圧し掛かる男から、知らず逃れようとしてシーツを這おうとし、震えながら伸ばした手はしかし、甲ごと男に掴まれ、そのまま寝台に縫い付けられた。
 獣の交わる姿勢が崩れ、伏臥に押さえつけられたその様子は、まるで蝶の展翅のさま。
 男は総司のなかに自身を埋め込んだまま、背筋ににじんだ汗を笑いながら舐め取ったようだった。



 くつくつという、喉の奥から洩れる男の楽しげな声が総司の背中に聞こえる。なにを話しかけているのか、それは総司には分からない異国の言葉だ。
 この小さな部屋に連れてこられてから、総司のもとをほぼ毎日訪れるようになったマーシュという白い額の青年が、どうやら言葉を教えてくれようとしているようだったが。
 そんな必要はないのにと総司は思っている。
 言葉など、むしろ分からないほうがいい。
 総司を苛(さいな)む喧騒から、やっと解放されたというのに。
 この期におよんで、会話など。
 疑惑の渦中で説明も、言い分も、あの灰色のオフィスであれほど言葉を重ねたではないか。
 同情はなく、懐疑と叱責ばかりが総司に浴びせられたのだ。
 それで総司は死ぬに至った。
 ならば。
 あとはもう。
 静かに緘黙(かんもく)するしかない―――。




 総司を組み敷く男の両手が腰を掴み上げ、ふたたび律動が始まった。
『うっ・・・』
 痛みに声が洩れるよう、激しく揺さぶられるのは気のせいではないのだろう。耐えるように噛んだ唇は、すぐに男の指によってこじ開けられた。
『あっ、あ、あぁ・・・』
 顎を持ち上げられたせいで、壁に埋まったガラスの窓が視界に入る。
 わずかに茜に染まった空。
 男がやってくるのは、決まって夕刻になる前だった。蝋燭の炎が点るまえで、おかげで総司は男の行為の間中、窓下の青い湖を見ることができなくなる。
 だから、総司は想像する。
 男に乱暴に貫かれている間は。
 脳裏に広がる、真っ青な景色を。
 きっと凪いでいるであろう、その湖面を。



 やがて。
 ぴちゃりと白濁した水音を立てて怒張が引き抜かれ、存分に攻め終えた男が総司の背中から離れると、強張っていた身体が弛緩して、総司は寝台に崩れ落ちた。その隣りに、男もまた肩で息をしながら倒れ込む。
(こういうのを、栗色っていうんだろうか・・・)
 汗でしめった男の明るい髪の色を横目にぼんやり眺めていたら、その髪の束が動き、むっくりと起き上がった男が総司の顔を掴んで真正面に覗き込んだ。
 初めて見たときにも思ったが、こんな薄暗い室内で見つめても、男の両目に埋まるその瞳はやはり上等な翡翠のようであった。
 高価な、美しい宝石だ。
 本来ならば深く澄んで静寂を湛えているはずのその石は、しかし、いまはどこか暗い翳りを帯びていて、総司を突き上げている間は笑いさえこぼしていたくせに、痛みを与え終えたあとは、その瞳はひどく苛立っているようだった。
 横柄に見下ろし、何事かを呟いているが。
 アーリ、というのは、もしかして自分のことなのだろうか?
 なにを言っているのか分からないのだから、話しかけても無駄なのに。
 応える気はない。
 目を開けて男を見上げてはいるが、その眼窩は空(うろ)なのだ。
 眼窩だけではない。
 心も、空洞だ。
 男の薄い唇が動き、やはりなにかを呟いている。
 不機嫌なまま強引にくしゃりと髪を撫でられても、総司の無表情は変わらなかった。
 男の指に絡まった前髪が引きつれて、その小さな痛みに思わず顔をしかめると、男はますます力を込めて頬ごと頭を撫でてきた。
 放っておいてくれればいいのに。
 低く呟かれる男の言葉は、なにを言っているのか、分からないのだから。





 男が来た翌日は、たいてい総司は寝台から起き上がれなくなる。
 行為のあと、男と入れ替わるようにリオという少年がすぐさま部屋にやってきて、総司の体を清めたり、また老医師によって手当てが施されるのだが、もともと体力のない総司は決まって発熱するようだった。
(死んでからも熱が出るって、不思議だけど)
 この死後の世界で怪我をしようが病気になろうが構わない。
 どうせこの身は死んでいるのだ。
 腐ろうが、蛆が湧こうが、そのまま放逐し野辺に打ち捨ててもらって構わないのに。
 総司の体調がもとに戻った頃にまた男が訪れ、総司に新たな傷をつけて去っていくのだが、そのたびに丁寧ともいえる手当てを受けて治癒されてしまう。
 近頃はその繰り返しで、これこそが総司への懲罰だというのならば、男の手による散々な苦痛は、永劫に与えられるのが当然だと思うようになった。
 土くれに還ることさえ許されないのだとすれば。
 それほどの罪を総司が犯したのだとすれば。




 気を失っている間に日付も変わったのだろう、うつろに目を開くと室内はすでに日中の陽が差していた。
 持ち上げた目蓋に見慣れた少年の顔が飛び込んできて、いつからそこにいたのか、ようやく目を覚ました総司に、リオはふと安堵の息をこぼしたようだった。
「・・・気分はどうですか? 起き上がっても大丈夫そうですか?」
 きっと総司を心配しているのだろう言葉をかけながら、彼の背に手を当ててゆっくりと上体を起こしながら、すぐさま背に枕を入れてくれる。そして脂汗の浮いた総司の額を、水に濡らした柔らかな布で拭き取りながら、この少年はいつもどおり甲斐甲斐しく総司の世話を焼く。
 匙にすくった粥を口元まで運び、総司が薬湯を飲み干すまで目を離さない、つきっきりの看護。
『―――ありがとう』
 少年には伝わらないであろう日本語で礼を述べるが、案の定、氷のような無表情でその言葉を伝えたところで、リオは困ったように首を傾げて微笑を浮かべただけだった。
「どうして、陛下は、こんな・・・」
 リオが総司を見る目は、いつも哀れみの感情がこもっている。
 男がやってくる直前に行われる、老医師による後孔への処置の合間も、黙々と医師に従いつつも、その顔は総司への憐憫らしき情が浮かんでいた。


 風が強いのだろう。
 部屋と外界をつなぐ唯一の窓の、そのガラスが揺れてガタガタと音がしている。
 石造りらしいこの塔は、登ってきたときに感じた高さのわりに頑丈な造りらしく、強風にも揺れる気配はない。
 ふいに首を巡らせて、総司は寝台の上から窓の外の晴天を見つめた。
 トンビに似た鳥影が、遠く山頂を旋回して窓枠の景色から消えていった。
 体中がだるくて、今日はこのまま寝台から出られない。
 湖が見られないときは、総司はじっと窓の向こうの空を見上げる。
 雲の流れが早い。
 細切れの綿のような薄い雲が、次々と流されては形を変えていっている。
 総司が寝込むせいで、男がやってきた次の日は、マーシュという青年もここへは来なくなっていた。
 手を替え品を替え、どうにか総司に言葉を覚えさせようと通い詰めているらしい青年の白い顔を思い出す。すっきりしたまなじりの青年は、反応のない総司への渋面を堪えきれず、最近ではあからさまに溜め息を吐くようになった。
 そういえば、何度も聞かれて名前だけは名乗ったような気がする。
 死ぬまえならば、聞かれずとも初対面の人間には名刺とともに名など簡単に差し出していたが。だって、それが総司の仕事だったのだから。
 だがもう。
 言葉は、一生分出し尽くしてしまった。
 だから、誰がなにを言っているのか分からなくても、総司にはもう、関係がない。
 総司の言葉が伝わらなくても、それでも構わないだろう。
 あの男がなんて言っているかなど。
 分からなくても。





「―――生きておるか、アーリ」







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