第3章 3



   「」が異世界語・『』が日本語



 ああこれは夢だ、と加賀達樹は思った。
 ―――夢のなかで。



 幼い頃から眠りに就いた途端に現れる、迫力満点の巨大な三姉妹神のおかげで、達樹は他人が言う「夢」というのをほとんど見たことがないような気がする。
 夢のなかで自由自在に大空を飛んでいたとか、大金持ちになって世界中の美味しいものをたらふく食ったとか、好きなアイドルとデートしてあまつさえムニャムニャな展開にまで至って・・・とか、そんなふわんふわんした幸せ絶頂で愉快爽快な夢から目覚め、「ああ夢かぁ、いい夢だったなあ!」という寝起きの感想を爽やかに述べた経験がない。
 達樹にとっての夢の世界というのは常に、三姉妹神による厳しい神子教育―――という名の八つ当たりと憂さ晴らしと呈のいいおもちゃ扱い―――というスパルタ授業だったからだ。
 女神様方の気紛れでその神子教育がないときもあり、もちろんそういう晩は達樹の夢のなかは達樹の自由なのだが、深層心理に刷り込まれた女神のインパクトは、夢のなかでさえどうやら彼女たちの存在から脱却させてはもらえないらしく、だから、達樹にとっての「普通の夢」というのは、「女神様たちの授業を反芻する夢」という、まさにトラウマとしか言いようのない憐れなものなのであった。
 それがこの異世界に降りてからというもの、その女神様方がまったく夢に現れてくれないものだから、あまり自由に慣れていない下僕体質な達樹としては、女神様から解放されたその自由を謳歌満喫するどころか、むしろ逆に不安にばかりなっていたところだ。



「―――妾たちの世界ではな、単身の神はまずおらぬのじゃ」
 軽やかなサーラ神の声を聞いて、ああこれは夢だ、と分かってはいても達樹はなんだかほっとした。
 この出だしは、中学二年の終わりの頃に受けた神子教育であり、その後五回はうなされたことがあるのも分かってはいるのだが。
「みな兄弟であったり、姉妹であったり、親子であったりするのじゃ。そなたの世界の神にも親兄弟はおろう?」
「ええと、あの、はい」
 うろんな感じではあるが、達樹は首肯して返事した。
(そういや、天岩戸で有名なアマテラスオオミカミとかって、弟だかなんだかがいたような・・・)
 サーラ神の問いに、達樹は記憶を引っ張り出す。
 日本の神話に限らず、ギリシャ神話なんかでも神様たちに家族があったような気がする。
  ええっと、たしかに世界史の授業でキモやん先生がそんなこと言ってたような、言ってなかったような・・・。
(あ、キモやんの授業、全部寝てたわ、俺、たしか。だから覚えてねえ!)
 キリスト教やユダヤ教などは一神教の宗教だが、日本においては八百万の神という言葉があるように神様がたくさんいるのは当たり前で、その土壌に育った達樹はだから神様が何人もいるという世界観に抵抗がない。
「あ、あの、そういえば・・・いつだったか、ハリア大陸ではなくよその大陸の外国には双子神がいらっしゃるというのを聞きました」
「おお、達樹のくせによく覚えておったな。ほほほ、なかには十二人姉妹の神もおるぞよ」
 楽しげに語るサーラ神に相槌して、リーラ神とユーラ神も同調した。
「音楽好きでな、かの国はつねに賑々しいわ」
「それぞれ楽器が得手でのう、みなでよっく弾き合わせておるようじゃ」
「はあ」
 あの、それって。
 ふと。達樹の脳裏によぎった想像を、かぶりをふって打ち消す。
(音楽好きな十二人の女神様って・・・なんかそれって、アレだ。もうあの、女子十二楽○的な??)
 うぎゃっ! いやいや!!
 それにしても。ひとつの国にそんなに神様がいて、よくケンカにならないものだ。
 女姉妹のケンカってどんなんか分かんねーけど。
 気の立った猫みたいに爪で威嚇したり、髪の毛とか引っ張り合ったりすんのかな。ニャーッ!! ってかんじでさ。それとも陰険に悪口の言い合いか? ネチネチネチネチっとさ。
 考えていることがそのまま顔に浮かんでいたのだろう、達樹の表情を見てサーラが半目で呆れ、多いに達樹を見下していた。
「ばか者。神が低俗な諍いなどするものか」
「愚か者めが」
「そなたら兄弟とは違うのじゃ」
「へ? い、いえ。私と弟は仲いいです。ケンカなんてしたことないです・・・」
 男兄弟でそれって、かなり珍しいよな。歳だってたったの二つ違いだから、体格だってそんな変わんないし、普通なら取っ組み合って殴りあいのケンカとかするよな。晩飯のおかずの取り合いとかの下んない理由で。
「それはほれ、アレじゃ」
「おぬしが阿呆で抜けておるからじゃ」
「諍いに発展せぬだけじゃ」
「・・・」
「ほんに、タツキは頭が弱いのう」
「ほほほ。弱い弱い」
「弱い頭は、こうしてくれる」
 いつの間にやらサーラ神が手にしていた扇子の先で、頭のつむじをぐりぐりと押される。
 扇子とはいえ、見上げるほどに巨大な女神が手にしているものだから決して小さくはない。
 うぎゃっと、達樹は目を剥いた。
 まるで丸太の先で突かれているようなものなのだ。怖ろしいことこの上ない。
「あっ、あっ! お、おやめください・・・!!」
「ほほほ、タツキの頭が少しでもよくなるように鍛えてやっておるのじゃ」
「姉君様、もっと強う押したほうがよいでしょうぞ」
「ほほほ、避けるでないぞ。おぬしのためじゃからのう」
 避いでか!!
 あ、頭がつぶれる!! 割れる! 脳みそ飛び出る!!
 鍛える方向性が違ーう!!!
 うぎゃあああっ!! だからやめろってんだこの鬼ババどもがあっ!!
「あ・・・も、もう、おやめに―――」
 マジで死ぬって!!!




「やぁ、も、やめてくださ・・・」
「タツキ、タツキ」
「あっ、あぁ、もう、駄目・・・痛・・・」
「タツキ! 目を覚ませ」
「―――あ・・・」
 揺すり起こされて、どうやら自分がやはりひどくうなされていたのだと気がついた。
 薄布の寝間着はびっしょりと汗を吸ってぴったり体に張り付いている。
(そりゃそうだろ・・・あんな悪夢・・・)
 うぎゃあああ・・・。ひっさびさにキタね。マジで。幼稚園児だったら確実100%洩らしてるね!
 いや、幼稚園児でなくとも―――。
 そっとシーツをめくって見てみる。
 よし、黄色い水溜りはない! と、大丈夫なようでほっと息を吐く。頑張った俺! よく耐えた!
 あいつらほんとにマジ怖ぇえよー!!
 何度思い出しても怖ぇえ! って、トラウマにもほどがあんだろ!ホラー映画のフラッシュバックだよ!!
「起きたな。どうした? そんなに怖い夢だったか」
 すぐ頭上から問われて、当たり前じゃんと返事をしようにも喉がカラカラに渇いてひっつき声が出ない。代わりにコクコクと首を振って応えた。
 いやそりゃ怖ぇなんてもんじゃねえ!
 だって鬼ババに殺されかける夢だぜ、おい!!
「ただの夢だ。安心しろ、俺がこうしていてやるから」
 寝汗で気持ち悪い体を、万力で絞るみたいにぎゅうぎゅうと抱え込んでくる奴がいる。
 あ・の・なー。
 うぎゃあああ!! 苦しいっつーの!! 息できねーっつの!!
 なにこれ、誰これ、なに余計なことをしてんの!? ってか、なんで俺、筋肉に押しつぶされて寝てんの!?
 く、苦し・・・。
 女神様に扇子で頭を潰されそうになった夢って、絶対これのせいじゃね!?
 うぎゃああ! 誰だこのバカ!!
 息ができないからどいてくれって!!!
「んっ・・・」
 じたばたともがいて、窒息寸前でようやく気付いてもらえた。
 けほけほと咳き込んで筋肉の正体を見れば―――。
(なんで、こいつが、俺のベッドに・・・?)
 やけに真剣な表情で、間近に達樹を見下ろすリヒトの顔があった。
 息がかかるほどの至近距離で目が合った途端、前髪の生え際を、頬を、そして耳たぶを優しく優しく撫でさすられる。
(ななな、なんで、どうして・・・!)
 そして次の瞬間、達樹が自分の顔が火を噴いたようにぼっと赤くなるのが分かった。








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