第3章 4 「」が異世界語・『』が日本語 赤面した顔をとっさに引き上げたシーツで隠し、達樹は心中で雄叫びを上げた。 う、うぎゃああああっ!! 寝顔見られてた! まじまじ見られてた! めっちゃ見られてた! うぎゃああっ! なんつーことだ! 俺の寝顔って、半分目ぇ開いててしかも白目むいてんだよ! 修学旅行でダチにからかわれて「涅槃(ねはん)」ってあだ名つけられたんだよ!! そそそ、それを、ここ、こんな至近距離でぇぇぇ・・・! の、覗き込むようにぃぃぃ・・・! 恥ずかしすぎて、顔が火ぃ吹くっての!! (・・・って、あれ? なんで?) そういやなんで、こいつが俺のベッドにいるんだ? 寝ぼけてんのか? ふと冷静さを取り戻し、被っていたシーツをそうっと下してリヒトの様子を伺うと、王子様はやはり穏やかな眼差しでじっと達樹を見つめていた。 (うぎゃっ! こいつちょっと半笑いじゃね!? やっぱあれか!? 涅槃顔か!? 寝顔白目ってチョーウケルってか!??) 「お、王子様・・・なぜこちらに?」 勝手にうろたえ、なかばやけになって睨み返してやったのだが、寝起きの美少年に睨まれたところで迫力などないらしく、リヒトにはまったく通じないようだった。 悪びれたり動揺したりするふうもなく、それどころか穏やかな眼差しがさらに深くなって、ゆったりと達樹の前髪を撫で上げた。 「平気か? 気分は悪くないか?」 「気分、ですか・・・?」 それならさっきあんたに絞め殺されそうになった挙句、涅槃顔を半笑いされてサイテーですけど。 それが? 「ずいぶんとうなされていたから心配したぞ」 「それは・・・」 そりゃてめえの半端ねえマッスルパワーでギュウギュウやられりゃ、うなされもするっての! 夢見も悪くなるっつーの! 「昨夜は少し、飲みすぎたようだな。次からは俺がちゃんと気をつけておこう」 「え? あ・・・」 飲みすぎって、え? 俺? 昨夜って、え?? あ。うぎゃ。そうだった!!! 俺、、昨日、食後に勧められたワインがなんだかやけに美味くって、大丈夫大丈夫っつって飲んでて途中からすっぽり記憶がない!! すっげー甘い白ワインをほんのりしょっぱいチーズと一緒に口に入れると、その相反する味覚のバランスがなんとも言えず絶妙で、クセになる味っつーか、後引く味っつーか、飯食ったあとだってのに別腹にいっくらでも入っちゃったんだよ! いや、まったく記憶がないって訳ではない。 食卓のある食堂から移動してリビングのソファで提供されたそれは、なんでもリヒタイト王子が相続している領地で獲れた葡萄から作られたもので、毎年この時期に献上されるのだという薀蓄をなんとかかんとか聞いてるうちに、根っから庶民の達樹はなんだか段々と向かっ腹が立ってきて・・・。 だーっ! 領地とか献上とか! このセレブがあっ!! と酔っ払った勢いで、でっかいソファがコの字型に三つもあるのになんでか隣り合って腰かけやがったセクハラ王子の胸倉をガシッと掴んだところまでは、どうにかうっすらと覚えているのだが―――。 (ええっと・・・そ、それから・・・) 今、達樹とリヒトがお互いに身に着けているのは絹の夜着である。 しかし確かに、最後の記憶にある自分たちの格好は、いつもの部屋着であったはず。 (ま、まさか王子様のご立派な胸倉サマに、勢い余ってリバースとか、やっちゃったってこと、ないよね!? ね!?) しかも放流してそのままブラック・アウトなどしていたら、たちが悪いにもほどがある。 そういう酔いどれフルコースは元の世界でちゃんと社会に出てから新橋あたりでデビュー致したい。 どうなの、俺!? うぎゃあ・・・記憶がないって、なんって怖ろしい・・・。 「あ、あの、王子様、わ、私、その・・・」 「気分が悪くないようなら、そろそろ起きよう。朝食は食べられそうか?」 「それは、だ、大丈夫ですが・・・」 「そうか。もし二日酔いで頭痛がするようならすぐにミヤに薬を用意させるが」 リヒトに促されて寝台から身を起こそうとする達樹の背に、すぐに手を添えてさりげなく助けてくれるこの男は、紛れもなく生まれながらの王子様だ。 (なんて気の利くエスコートっぷり!) 立ち居振る舞いの隙のない上品さはさすがと言うほかなく。 起き抜けだというのに寝癖ひとつないしなやかな金髪は優雅に波打って肩に落ち、風格ある深緑の瞳のはまった容貌の、その精悍さたるや―――。 (うぎゃっ! そんな絵に描いたような王子様に、俺ってば・・・) 「も、申し訳、ありません! あ、あの、私、昨夜の記憶が、曖昧で、もしかして、あの・・・」 「覚えてないのか?」 「はい、あまり・・・」 「そうか」 「あ、あの・・・私、もしかして、王子様に・・・」 「―――昨夜、ボクちゃんは俺の胸にぎゅっとしがみついてきてな」 「え?」 し、しがみついて?? ぎゅっと? (いや俺、たしか胸倉掴み上げたはずなんだけど?) そして、王子様の胸にゲロを―――。 「そして俺の胸でそのまま寝入ってしまった」 「え?」 「抱き起こしてこの客間に運んだのは俺だが、夜着に着替えさせたのはメイーノだ。俺も一度は部屋着を替えに自室に戻ったんだが、もしボクちゃんが夜中に気分が悪くなって目覚めてはいけないからな。心配だから同じ寝台で眠ったんだ」 (えっ?) ってことは。ゲロってない!? 俺、やっちゃってない!? この金髪王子様を、残念な姿にやっちゃってないんだ!? (なあんだ! よ、良かった〜!) ほっとしすぎて達樹は思わず涙が出そうになっていた。 酔ってゲロなど、考えてみれば神子としてはありえない失態だろう。いくら今は女神とコンタクトが取れなくなっているとはいえ、あの三姉妹神のことだ。いつ、どこで、いかなる天罰を下してくるか分からないのだから・・・。 想像するだに怖ろしく、達樹はしみじみ安堵した。 なんの粗相もなかったなんて! 俺、天才!! いやー! お酒って、ほんっと怖いね!! 今後は気をつけるよ、俺!! 酒は飲んでも飲まれるなってネ! 「そ、そうでしたか。それはとんだご迷惑をおかけしまして・・・」 「迷惑ではないな。昨夜のボクちゃんは本当に可愛かったから。これからも、たまになら飲みすぎるのもいいかもしれん」 「え?」 「ああそうだ。朝の挨拶をまだしていなかったな。おはよう、タツキ」 「!」 いきなり大きな両の手のひらで頬を包まれたかと思うと、ほぼ真横に顔を傾けたリヒトに深く唇を重ねられた。 「んんっ・・・!!」 舌を絡め、歯も上顎も余すところなく口内を舐めまわされる。 朝の挨拶とはなんぞや!? と考えさせられる、到底爽やかでない濃厚すぎる口付けをぶちかまされ、息も絶え絶えになったところでようやく唇が放された。 含みきれずに零れた涎を、リヒトが指で丁寧に拭う。 「・・・甘いな。まだ少し昨夜の酒が残っているようだ」 「な、な・・・」 なにすんじゃボケー!!! ボケー!! ボケー・・・。 心中の叫びが脳天にこだまするのを、達樹は朦朧とした意識のなかで聞いたのだった。
|