第3章 6 「」が異世界語・『』が日本語 俺って、このお屋敷じゃほんっと役立たず・・・。 はあっと深い溜め息を吐き、達樹はリヒトの私室のまえに立っていた。 昨夜、階段から足を踏み外し、すっ転んだところをリヒトに庇われ代わりに大怪我を負わせ、挙句、流血を見て気を失ってしまった達樹である。 深い傷に昨晩はリヒトが高熱を出して寝込んでいたことも、大破した花瓶の後片付けに使用人総出だったことも、失神した後ついさっきまで眠り込んでいた達樹は、屋敷中が大騒動だったことなど露とも気がつかなかった。 昼近くなり、様子見に客間を訪れたミヤに起こされて、ようやく昨夜の顛末を知ったのだ。 あまりのおのれの不甲斐なさに、溜め息を吐かずにはいられない。 せめてこうして、いの一番にリヒトに昨夜の一件を謝罪しようと部屋を訪ねることにしたのだった。 小さくノックするとすぐに中から応(いら)えがあって、従騎士のコーノが扉を開けて達樹を招き入れてくれた。 コーノの表情に緊張がないことから、リヒトの状態も落ち着いているのだろう。 伺うように見上げた達樹に、コーノもすぐに承知してにっこりと笑んで肯定してくれた。 「殿下はご無事ですよ。昨夜はさすがに熱を出されましたが、今朝には下がっておられましたから。大丈夫です。ま、ああ見えて鍛えていらっしゃいますしね」 「そ、そうですか・・・よかったです。私をお庇いになってのお怪我ですので・・・」 「タツキ様が気に病まれることはないんです。むしろ、ご自分の手柄でタツキ様にかすり傷ひとつなく助けることができたんですから、大喜びされてるんじゃないですかね? それはどうぞ、ご自分の目でお確かめください」 達樹を安心させるためか、自分の主人を茶化してみせるコーノに微苦笑する。 (うう、慰めてくれんのね・・・ありがと、コーノさん・・・) それで心が晴れるわけではないが、少しばかり勇気を得てリヒトの寝室へと入っていった。 王子の侍従に(勝手に)任命されてからというもの、リヒトの私室には度々訪れてはいるが、こうして寝室にまで足を踏み入れたことというのは、そういえばなかったことに気がついた。 用事を言い付かり私室の居間やそれに続く書斎には普通に出入りしていたが、居間をはさんで反対側の続き部屋である寝室への用事を、思えばリヒトは達樹に言いつけたことがない。 部屋の掃除やリネンの取替えは下女たちに言いつけてあるし、身支度などはミヤかコーノが行ってしまうからなのだろうが・・・。 侍従というお役目を頂戴したが、達樹は侍従の仕事というものを知らない。 今まで疑問にも思わなかったが、本当ならばリヒトの身の回りの世話こそ侍従になった達樹がしなければならなかったのではないだろうか。 客分としての扱いにますます磨きがかかってしまった今では、気付いたところで今更どうしようもないのだが・・・。 寝室に入ってまず目に付いたのは、巨大な天蓋付きの寝台であった。 といっても、お姫さま〜な感じのロマンティックなそれではなく、むしろ重厚な、どっしりとした家具としての印象が強い寝台である。 彫刻の施された濃いマホガニーの柱と、それらが支える天井からカーテンのような深緑色のビロードの布が四方全体を囲むように垂れ、それぞれ優雅なドレープをもって四本の柱に巻きついている。 部屋の奥には衝立とその向こうには背の高いキャビネットも見え、クローゼットにもなっているのだろう、太い革ベルトで留められた、長持ちのような大きな木箱も置かれてあった。 寝台のすぐ側に小さな丸テーブルとお揃いの椅子が2脚ほど設えられているほかは、特に家具らしい家具はない。 その寝室の、生成りと濃紺と黄金の刺繍の組み合わせで構成されたリネンに埋まる寝台のなかで、リヒタイト王子は羽根のたっぷり詰まったクッションに背を当てて上半身を起こしていた。 リヒトは夜着を身に着けていたが、はだけた胸から白い包帯が見え、達樹は思わず泣きそうになった。右肩あたりが盛り上がっているのは、縫合した箇所を固定するために、包帯を幾重にも巻いているからだろう。しばらくは腕を持ち上げるのも難しいに違いない。 眉の上にもガーゼが当てられていて、見るからに怪我人の呈である。 (うぎゃっ、大変なことになってる!!) 「ああ、あの・・・王子様、私、昨夜は、本当に申し訳ありませんでした・・・!」 庇ってもらった上に、情けなくも気を失ってしまって・・・。どんだけだよ、俺。 (うう、俺、ホント、駄目人間・・・) 「・・・本当に、どうお詫びすれば・・・」 さすがの達樹も猛省し、リヒトに向かって深々と頭を下げた。 いや、頭を下げるだけじゃ足りないかもしれない、むしろ土下座のほうが・・・と考えていると当のリヒトからすぐに顔を上げるよう命じられてしまった。 「謝る必要はない、ボクちゃん。それよりもこちらへきて顔を見せてくれ」 「は、はい・・・」 請われるまま素直に寝台に近づくと、その寝台に直接腰かけるよう言われる。 近寄ると、リヒトからぷんと強い消毒液の匂いがした。居たたまれなくなってすぐに俯こうとした達樹に、リヒトの無事なほうの左手が伸ばされ、顎をすくわれ顔を覗き込まれた。 「昨日も尋ねたが、どこにも怪我はないな?」 「は、はい・・・」 うぎゃっ。おかげさまで申し訳ないくらい無傷です。 恐縮して小声で返事を返した達樹に、リヒトは鷹揚に頷いて見せた。 「そうか」 短く応えるリヒトのその声音が、いたく満足げな様子で―――。 達樹は驚いて思わず背後のコーノを振り返った。 さきほど、部屋に入るまえにコーノから聞いた言葉は、どうやら本当だったようだ。 コーノは達樹と視線が合うと、「よかったですね」というような笑みを浮かべていた。いや、むしろ「だから言った通りでしょう?」といった、悪戯なかんじの・・・。 「ボクちゃん」 従騎士に向けられていた達樹の顔を、リヒトは強引に自分のほうへと向けなおした。その顔が、わずかに渋面しているような―――。 「他は気にするな」 「え?」 と達樹が思うよりも早く。 「!」 ぐいとうなじを引き寄せられ、王子様に唇を奪われていた。 「んっ・・・!」 ―――吐息ごと吸い込まれるような口付けは、振りほどこうにも後頭部を左手でしっかりと固定されてしまって身動き取れない。 唇で食むように下唇をはさまれ、べろりと舐められた瞬間に達樹の背筋に痺れが走った。 「ぁっ・・・」 思わず開いたその隙間から滑り込んできた舌が、達樹のそれに合わさって、こすれる。ざらついた舌は熱く、そして力強くて。 食べられるかと思うような深い口付けに、思わず声が零れ落ちる。 「ん、ふぁ・・・!」 なな、なんでこんなことに!? いきなりキスってなんで!? いや・・・そんなことよりも。 (だっ、だから、こいつのキスって・・・ヤバ過ぎ・・・) 気持ちいい。お花畑。世界がキラキラ輝いてるみたい。 知らず閉ざした目蓋の内側が、七色に弾けてスパークしている。 先ほどのリヒトの渋面の理由とか、どうしてこんなことになったのか、分からないけどそんなことももう考えられない。 今は舌の付け根に絡み付いてくる熱に、頭のなかが朦朧としてくる。 唇の角度が変わるたび達樹の身体からくたりと力が抜け、リヒトの胸に乗り上げるように身を預けた瞬間、くっついている王子様の唇が笑んだような気がしたが。 そんなことももうどうでもいい。 (あー・・・、俺、も、どうなってもイイかも・・・) などと、危うく思考を手放しかけたときだった。 「―――ほう。その子が殿下が大切に守っているという花の精霊か」 寝室の入り口から聞き覚えのない深みのあるバリトンの声がかかり、リヒトの声が離れた途端、ようやく達樹は目が醒めた。 (いいい、い、いつの間に知らない人がぁぁぁ!!!) うぎゃあああっ! 接吻シーン、ばっちし見られたぁぁ!!! 背の高い、がっちりとした筋肉質の渋い中年の男が、ミヤとともに開いた扉のまえに立っていた。 コーノをはじめ、屋敷内の大抵の人間にはすでに見られてしまっている光景だが、かといってこれ以上の他人にお見せしたいものでもない。 ミヤは困ったように頬を赤らめていて、コーノはすでに慣れたとでもいわんばかりに平然としている。 見知らぬ男は栗色の髪を短く刈り込み、同色の力強い眉と、はっと目を見張るほどの明るい水色の瞳を持つ男だった。 その目が、ひどく楽しげに輝いている。 「殿下、申し訳ありません。一応お部屋のまえでお止めしたのですが・・・」 「リヒタイト殿下、このミヤを責めてはいけないよ。私が強引に部屋に押し入ったのだ。楽しそうな予感がしたのでね。ふふ、その勘は外れていなかったようだ」 男の台詞にリヒトは先ほどよりも深い渋面を作って向けたようだった。 「―――カーライル団長。なぜあなたがここに」 「それはもちろん、殿下の見舞いに来たんだよ」 「見舞いが必要なほどの怪我ではないが」 「遠慮することはない。殿下は大切な私の部下だ」 大切な、の部分にやけに力を込め、そしてなによりも楽しげに寝台のリヒトを見やるカーライルに、リヒトはそれ以上の言葉の応酬をとどめ、男を寝室に迎え入れた。 なぜか達樹の知っている誰かを彷彿とさせるような人物である。 言葉ぶりといい、雰囲気といい―――。 先ほどリヒトが彼を団長と呼び、リヒトが部下ということは、つまり近衛騎士団の団長という立場なのだろう。すごく偉い人だ。 なのに、このふわふわした軟派な物腰は・・・。 「ボクちゃん、こちらはカーライル・リッツ・ダラシン三位爵。ユーフィール王国近衛騎士団団長であり、ヒューズの叔父貴にあたる男だ」 達樹よりも上司の紹介を優先させたリヒトに、カーライルはまたしても好奇の目を二人に向けた。 そして寝台に近寄ると、達樹のまえですっと膝を折り、優雅な所作で胸に手を当てた。 「リヒタイト殿下の秘宝にこうして間近にお会いできるとは我が至福の極み。噂にたがわぬその美貌。精霊殿、その真白き御手に口付ける栄誉をわたくしめにお与え頂いても?」 真面目な顔で歯の浮くようなその台詞。 (うぎゃ!! このひと確実にヒューズさんの血縁だ!!) なーるほど! と、手を打って頷きそうになった達樹であった。
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